2003年7月


文月初日(火) 「そうか!」
どうも今年に入ってから、何かと調子が悪いと思っていたのだが、昨日、久しぶりに知人A から
届いたメールですべての謎が解けてしまった!!

     ********************************************************************

          まいど!ちょっと遅れたけど
          ” お誕生日おめでとう〜♪ ”
 
          いやぁ〜別に忘れてた訳じゃないけど
          (思いっきり忘れとるやんけぇ!)
          今月は色々バタバタしてたもんでぇ〜(^^;
 
          41歳と言えば「易」で言うと二黒土星のチミが
          北に入る9年に1度の「超」悪〜い年やな。
          俗に言う 「ヤク」

          特にチミの場合は男の「本厄」
          新規ごとは控えてひたすら嵐の過ぎるのを
          待ちたまえ。。。。(^^)
          正確に言えば誕生日から本厄ではなく
          2/4の立春からとっくに突入してるのであ〜る!

          でも「本厄」「本厄」言うて
          あんまり気にしたらあかんで〜(笑)
 
          チミに何かプレゼントをしようと思いつつ
          小さい時のデブでブサイク(ネタ多し)な写真を集め
          アルバムでも作ろうと考えつつ現在に至ってるザンス。
          多分思うだけで終わると思うが。。。。(^^;
 
          とりあえず6月中に心暖まるお祝いのメッセージを
          伝えれて良かったわぁ〜と一安心する私であった。
          ブハハハハ〜♪ホナ!


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そうか! そうだったのか!! ワタシは厄年に入っていたのか!!! これですべての謎が解
けた。つまりワタシが悪いのではなく、厄年だから悪いのである! と、そう思った途端に、体が
急に軽くなり、何でも都合の悪いことは「厄年だから仕方がないよなぁ。」と、いとも簡単に割り切
れるようになった。メデタシ、メデタシ。(笑)



文月弐日(水) 「日独伊・三国同盟の真相?」
今日、ホテルから某和食レストランに行く途中のタクシーの中で、運ちゃんからスゴク興味深い
話を聞いた。

ワタシはタクシーに乗る前に、どうしても一服したくて、運転席のウインド越しに、「ちょっと一服し
たいんで、3分ほど待っててくれない?」と頼んでみた。するとこの運ちゃん、「じゃ、ワシも一緒
に一服するわ。」と言いながら車を降りた。ホテルの前のベンチに座りながら、「や〜ぁ、やっぱり
タバコはウマイのぉ♪ オーストラリア人はタバコ嫌いが多いから困る」と話しかけたところ、この
運ちゃんは我が意を得たりとばかりに、、妙に巻き舌調の英語でベラベラとしゃべりはじめた。

その運ちゃんはイタリア・ミラノの御出身。オーストラリアにはもう25年ほど住んでいるらしいの
だが、オーストラリアに来てからもタバコだけは毎日欠かさず吸っているらしい。タバコに対する
情熱?は半端じゃなくて、吸い終わって車の中に戻ってからも、ず〜〜っとタバコの素晴らしさを
語り続けている。で、その運ちゃんが教えてくれたイタリアの格言がこれ。


    Foods kill you faster than smoking!
         (タバコより食べ物の方が寿命を縮める)

本当にこんな格言がイタリアにあるのかどうかは不明だが、運ちゃんは妙にキッパリとした表情
でそう言い切ったのである。運ちゃんの説明によると、現代の食品ってのは「化学物質の塊」と
言っても過言ではなく、人体に多大なる悪影響を与えている。アトピーなどはその典型的な例で
ある。さらにオーストラリア人はバカなので(←決してワタシが言ったセリフではない。運ちゃんが
そう断言していたのだ)、栄養のバランスとか考えず、毎日、肉とフライド・ポテトだけを食べてい
る。動物でもあるまいし、イタリアには毎日同じものを食べるアホなんざいない。食べ物がいかに
大切であり、また怖いかをぜんかん解ってないヤツらが、「タバコは健康に悪い」なんてホザくの
は笑止千万じゃ!・・・・・と、まぁ、こんな感じで、延々とタバコ擁護というか、食文化の大切さ熱く
語ってくれたワケである。

たぶん、この運ちゃんも禁煙大国オーストラリアでは、相当な苦労をしてきたのだと思う。さらに
食べ物に関しても、やっぱ苦労してきたのであろう。何となく日本人のワタシには解るような気
がする。地元クライストチャーチの大衆食堂(和食)でゴハンを食べていると、となりのテーブル
に座ったNZ人のオヤジやオバちゃんが、大して美味くもない焼肉定食を食べながら、大袈裟な
表情で「Oh, it's very yam!(めちゃ美味い!)」と喜んでいるのを見かける。そのたびにワタシ
は「そんなにウマイんだったら、このくらいテメーの家でも作れよ〜ぉ・・・・」と、ついついボヤいて
しまう。きっとイタリア人運ちゃんもシドニーの街で同じ事を思っているに違いない。

戦争中、「日独伊・三国同盟」というのがあったが、その締結には各国首脳の「食文化に対する
強い情熱と誇り」というのが大きな影響を及ぼした・・・・・・なんてことはないか。(笑)



文月参日(木) 「海外で食べる和食」
旅に出かけて、訪問先の郷土料理を味わう・・・・・どうやらこれはゴクゴク普通の人間の、正常な
行動パターンらしい。もちろんこれは海外旅行でも同じであり、イタリアに行けば本場のイタリア
料理を、韓国に行けば本場の韓国料理を味わうのが常識人というものである。

ところがワタシは世界のどこに行っても、基本的には和食しか食べない。別に意地になっている
ワケでもなければ、祖国愛に燃えているワケでもないのだが、不慣れな海外だからこそ、食事だ
けは普段と同じ和食にして、心の平静を維持しようと思っているのかもしれない。

さて今ワタシはシドニーにいるのだが、ここはマルチ・カルチャリズム(複合文化主義)で有名な
ところである。料理1つとっても世界各国のいろんな料理の「美味しいとこ取り」みたいな感じで、
非常に独創的なモノを提供している。特に地元・シドニー湾で獲れる魚介類を使ったシーフード
料理の数々は、ここを訪れた方であれば一度は口にしたことがあると思う。

が、しかし、BUT! ここでもワタシはやっぱり和食しか食べない。(笑) そんなワタシがスゴ〜ク
気に入っているのが、シドニーの中心街・チフリープラザ内にある「東(AZUMA)」という和食の店
である。以前、「A級風グルメ」でも紹介したことがあると思うが、このお店はテーブル席以外にも
個室があり、用途に合わせてゆったりと食事をすることができるのだが、ワタシのお薦めは店内
の一角に設けられた寿司カウンターである。逆L字型のカウンター席は全部で6席しかないのだ
が、地元のビジネスマンで賑わうテーブル席の喧騒をよそに、妙に落ち着いた雰囲気があって、
ついつい長居をしてしまう。地元の新鮮な素材を使って板さんの山崎氏が創る料理は、どれもこ
れもスゴク美味しい。

「海外に出かけてまで和食なんざ食べたくない!」などとおっしゃらず、ぜひ一度お試しあれ。


           
            タコわさ・ハタの薄造り・日本酒テースティングセット



文月四日(金) 「タイム・マシン」
ちと唐突な話だが、タイムマシンで時間の旅に出かけてみたいと思ったことはないであろうか?
ワタシはこれが結構あるのだ。未来よりもどちらかと言うと過去・・・・つまり歴史の旅に出かけて
みたいワケである。

と、その前に、ちと身もフタもない話を先にしておかなければならない。つまりタイムトラベルって
のが実際問題可能かどうかである。「どアホぅ! そんなもん無理に決まっとるやんけ!」と言う
のは簡単なのだが、それこそ、そじゃあまりに身もフタもないので、もう少し詳しく説明をしよう。

タイム・トラベルの最大の問題点は、「因果関係のパラドックス」ってヤツである。例えば過去に
移動できたとして、もしそこで何か自分がそこの社会で因果を持ってしまうと、未来が変わってし
まい、矛盾が生じてしまうワケである。極端な例で言うなら、自分の親を殺してしまった場合など
当然ながら自分は生まれてこない。それなのにタイムトラベルをしている自分がここに存在して
いる・・・・つまり「生まれていないのに存在するという」という大いなる矛盾が発生してくるワケで
ある。

タイムトラベルを扱った映画では、この辺の矛盾を適当に理由をつけてゴマかしている。有名な
Back to the future」では、主人公は思いっきり過去でいろんな因果を作り出しているが、最後は
結局、現在の状況と矛盾が生じないようなドラマ展開にしている・・・・というか、主人公が過去に
戻って因果を作り出すこと自体、最初から予定されていたこととして、現在の因果は構成されて
いるという設定である。

まぁ、小難しい屁理屈はこの辺にして、ちとワタシの素朴な疑問を聞いて頂きたい。非常にヘン
な話なのだが、ナンか昭和初期とか大正時代って白黒の世界だったんじゃないかと思うことが
ある。本当に色はあったのだろうか?と。もちろん、これは現存する当時の映像フィルムが全て
白黒なので、そんなイメージを持っているのだとは思うが、やっぱタイムマシンで当時に戻って
確かめてみたいような気がする。昭和初期や大正時代は白黒のイメージがあるのに、江戸時代
とか平安時代となると、急にカラフルなイメージが湧き出てくる。こりゃおそらくNHKの大河ドラマ
の影響ではないかと推測している・・・・・と、ふと思ったのだが、ワタシの幼い頃の写真はみんな
白黒写真である。ってことは、ワタシも小さい頃は白黒だったのか??  これもちゃんと確かめ
なきゃイケない。(笑)

ワタシは冒頭で過去に行ってみたいと書いたが、皆様の中には未来の自分の姿を見てみたい
という方も大勢いらっしゃることであろう。ワタシも未来の自分の姿に興味がないワケじゃないの
だが、もし素晴らしい未来が待っていたとしたら、それはそれで現在に戻ったときに何の努力も
しなくなってしまいそうだし、悲惨な未来であったとしたら、「努力したところで未来は悲惨や!」
ってことで、それこそ世捨て人のような暮らしをしてしまいそうな気がしてしまう・・・ってなことで、
ワタシは未来に行くのを躊躇ってしまうのである。んじゃ、過去に戻ってどうするのかと言えば、
歴史を通して今の社会や今の自分が出来上がっていく過程を冷静に観察してみたいのである。

            今の自分の姿を創ったのは過去の自分
            ならば未来の自分の姿を創るのは
            今の自分の行動である・・・・・

どこかで読んだ本の中に書いてあった言葉なのだが、妙にウンチク溢れる言葉である・・・・・・。



文月伍日(土) 「ベトナム人のおばちゃん」
先月初旬までワタシの家に居候していたH君から、久しぶりにメールが届いた。どうやら無事に
大阪に帰り着いたようである。彼はクライストチャーチを出発した後、NZ航空でシドニーに向か
い、そこからはベトナム航空の乗ってホーチミン経由で大阪に戻ったのだが、「ベトナム航空」と
聞いて黙っていられるワタシではない! さっそく「機内食をバッチリと撮影してくるように!」と
という極秘命令を彼に言い渡していた。で、彼はさっそくベトナム航空・機内食写真を送ってくれ
たワケだが、どうやら彼は機内でトンでもない恐ろしい事件に巻き込まれていたらしく、メールを
読んだ途端、ワタシは爆笑してしまった。

               ★     ★     ★     ★     ★

          こんにちは。
          メール遅くなってすみません。
          いきなり、ベトナム人のおばちゃんの話です。
          たまたま、横に座ったおばちゃんなのですが、
          この方、なかなかのクセ者で、
          親切なんだけど無愛想だったのです。

          飛行機に乗った時にいつも楽しみにしている機内食、
          写真撮影を済ませた後、すぐに食べ終えくつろいでいると、
          それまで話をしていなかったおばちゃんが、
          自分の食べ残した卵の煮付けを指差しながら、
          「おう!(食え?)」と言うのです。

          それからも食事の時には、毎回必ず食べ残しをくれました。
          そして大好きなはずの機内食が嫌いになりかけた時、
          やっとベトナムのホーチミン空港に着きました。
  
          すると、そのおばちゃんは、自分のカバンを差して
          「I sick,you go OK!! (ワシ病気、オマエ持て)」
          と言うのです。どうやら食べ残しをくれていたのは
          ボクを飼い慣らそうという魂胆だったのです。
          初めから、そう言ってくれれば・・・。

          小さい頃から食べ物を残すと怒られていたので
          涙を飲んで米粒の付いた食べ残しの卵を食べたのに・・・・。
          はっきり言って、おばちゃんの食べ残し、キツかったです。

            
               とても病気には見えないオバちゃんの姿

               ★     ★     ★     ★     ★

さすがに見ず知らずのオバちゃんの食べ残し、しかも「米粒付き」ってのツライものがある。でも
他人事だとミョーに笑える。(爆) H君には今度はぜひ大韓航空の関空→釜山路線にチャレンジ
してもらいたい! 噂ではあの路線を利用しているオバちゃん達もかなりキツイらしい。(笑) そう
言えば、その昔、大韓航空を利用した際、何気にシートポケットに入っていた「安全のしおり」を
読んでいて大爆笑したことがある。そこには緊急時の脱出手順の説明と伴に、次のような注意
が書かれていた。

   安全のため、飛行中は通路等で寝ないで下さい

ワタシもいろんな航空会社に乗ってきたが、このような注意を促している航空会社は、大韓航空
を除いて未だに遭遇したことがない。以来、ワタシは大韓航空の大ファンになってしまい、かなり
頻繁に利用している。



文月六日(日) 「仁義なき戦い・・・納豆定食編」
「歌は世に連れ、世は歌に連れ・・・・・」という名文句があるが、人にはそれぞれ「想い出の一曲」
ってのがある。それを聴いた途端に、思わず楽しかったあの日、苦しかったあの時を思い出して
しまう一曲である。

ワタシの想い出の一曲は、’82年にヒットした忌野清志郎&RCサクセションの「サマーツアー」
という曲である。当時20歳のワタシは、吉野家で毎日午後11時から翌朝8時までアルバイトを
していた。店内には有線放送を流していたのだが、この時やたらと「サマーツアー」がかかって
いたせいか、この曲を聴くと条件反射のように吉野家時代を思い出してしまう。

深夜の吉野家には学生やタクの運転手、その筋のお方や浮浪者など、いろんな人々がやって
来るのだが、最もタチが悪かったのが酔っ払ったサラリーマンであった。なんせこの人種っての
は、しょーもないことでやたらと店員にカラんでくるのである。中には酔った勢いで大盛りを立て
続けに3杯食べた後で、「コラっ! 吉野家の牛丼ってのはどうしてこんなにマズイんだぁ!」と
大声で叫んだかと思うと、急に気分が悪くなったのか、いきなりカウンターの上に牛丼3杯分+
それまでの飲食物の残骸をすべてブチまけてしまったオヤジもいた。

「金を払わずに・・・・・・・」で思い出したのだが、実に巧妙な手段で食い逃げをしたヤツがいた。
ある日の深夜ことである。一見するとちゃんとした身なりの2人組がやって来て、牛丼、味噌汁、
お漬物のゴールデンセッに加え、ビールに日本酒など約4千円分くらいを飲食した。そして食べ
終わった後、2人組みの1人が「あっ! 車の中に財布を忘れてきてしもた! ちょっととってくる
わ」と行って店を出るのだが、5分ほどしても戻ってこない。すると店内に残っていたもう1人が、
「遅いなぁ・・・」と言いながら、店のドアのところまで歩みより、外をジッと眺めていたかと思うと、
急に大声で「オ〜イ、こっちや、こっち! 何を迷っとんや!」と叫びながらドアを開けて店の外に
出て行く。そして二度と帰ってこなかったのである。(笑)

他にも浮浪者風の軍団が10名ほどでやって来て、各自ゴールデンセットを食べた後、そのまま
出て行こうとするので、「あっ、お客さん! お支払いの方をお願いしま〜すぅ♪」と言ったところ、
その10人が一斉にカウンターの上に置いてある箸箱やショウガ容器、そして七味などをワタシ
に投げ付け、そのまま逃走していったこともある。もちろん店内はメチャメチャである。

読者の中には「どうして追いかけなかったの?」と思われた方も大勢いらっしゃることであろう。
実はその当時、ワタシが勤めていた吉野家(京都・四条大宮店)の深夜の入客数は、平均して
1時間当たり20人程度だったため、1名運営だったのである。(時間25名以上になると2名運営
となった) 従って自分が外に出れば店内はカラになってしまうため、追いかけようにも追いかけ
られなかったのである。

しかし、楽しい思い出も一杯あった。四条大宮店に毎朝6時ちょうどに朝定食を食べにくる若い
兄ちゃんがいた。注文するのは決まって「納豆定食(当時260円)」。ある日のこと、いつものよう
に納豆定食を出すと、その兄ちゃんが「ちょっと〜! 辛子がついてないよ!」とクレームをつけ
てきた。納豆定食には小さなビニールに入った和ガラシを付けなければならないのだが、それ
が付いていないと言うのである。そんなハズはない・・・・と思ったワタシが、兄ちゃんのトレーの
上を見てみると、ちょうど味噌汁のお椀の後に隠れるような感じで和ガラシが置いてあった。

ワタシも若気の至りでムッとしながら「ここにあるじゃないですかぁ〜」と言うと、兄ちゃんの方は
憮然とした表情で和ガラシを納豆にかけて食べ始めた。と、普通ならばここで話は終わってしま
うのだが、その頃から茶目っ気旺盛であったワタシは、その翌日、兄ちゃんが来た時にちょいと
したイタズラをしてみた。いつものように納豆定食を注文した兄ちゃんは、また和ガラシがセット
されていないことに気がついた。しかし、昨日の今日のことなので、慎重にトレーの上を見回す
兄ちゃん。一通り見回した後、今度は自信タップリに「ちょっと〜! 辛子がついてないよ!」と
クレームをつけてきた。そこでワタシは待ってましたと言わんばかりに、「ここにあるじゃないです
かぁ〜」と言い返しながら、味噌汁椀を持ち上げた。実は和ガラシを味噌汁椀の「背後」ではなく
「下」にセットしておいたのである!(爆)

これでイタズラが終わったワケではない。そのまた翌日はご飯茶碗の下に和ガラシを隠してお
いた。しかし兄ちゃんは応用力がないのか、味噌汁椀を持ち上げて確認しただけで、またまた
性懲りもなくクレームをつけ、そしてワタシが「ここにあるじゃないですかぁ〜」と言い返す。さらに
3日目になると、今度は食器の下ではなくトレーの下にセットしておいた。納豆定食を食べる前
に、妙な宗教儀式のように食器を一通り全部持ち上げて和ガラシ発見に努める兄ちゃん・・・・。
しかし、これまたワタシの勝利であった。

そして4日目、今度は箸箱の下に和ガラシを隠しておいた。兄ちゃんがどの席に座るか分からな
いので、すべての箸箱の下に和ガラシをセットして待っていたのである!(爆) トレーの上を見
回した後、食器を1つ1つ持ち上げ、さらにトレーも持ち上げて確認する兄ちゃん。そして一呼吸
置いたあと、「今度こそは勝った!」と言う表情でクレームをつけて来た。そしてワタシがいつも
のように「ここにあるじゃないですかぁ〜」と言いながら、箸箱を持ち上げると、さすがの兄ちゃん
も大爆笑していた。

まぁ、店長が知れたら、速攻で「オマエはクビじゃ!!!」と怒られてしまうイタズラではあるが、
その後、この兄ちゃんとは妙な友情が芽生えてしまい、20年以上経った今でもお付き合いは続
いている。「サマーツアー」を聴くと思い出す、古き良き?時代の元祖M氏の事件簿である。(笑)



文月七日(月) 「プライバシー」
論語の中に「悪徼以為知者、悪不遜以為勇者、悪訐以為直者」という一節がある。現代語に訳
すと、「他人の意見を剽窃して、知識ありげな顔をする人、傲慢さをもって勇気と思っている人、
他人の隠し事をあばきたてて正直だと思っている人を憎む」という意味である。

数あるテレビ番組の中でワタシが苦手なのが、いわゆる「お昼のワイドショー番組」である。特に
芸能レポーターと呼ばれている連中に対しては、マジで「こいつらはアホかぁ?」と思ってしまう。
彼らは他人のプライバシーをあばき立てをレポートすることを生業としている。曰く「芸能人には
プライバシーはない。プライバシーを売ることも芸能人として重要な要素である」と。JISマーク付
のアホである。同じノリの雑誌版とも云える写真週刊誌ってのも、ワタシの苦手な雑誌の1つで
ある。芸能人や著名人のみならず、一般人のプライバシーまで晒(さら)す行為に至っては、もは
や限りなく犯罪に近い。

ワイドショーにしろ写真週刊誌にしろ、共通しているのは「自分たちは正義である」という、誠に
勝手な思い込みである。以前ワタシが京都で住んでいたマンションの斜め前に、オウム真理教
某幹部の実家があったのだが、その幹部が逮捕されるや、大勢のマスコミが殺到し、マンション
の前の細い道路を封鎖するように中継車が多数駐車していた。そして各レポーターが声高々に
その幹部が如何に反社会的で極悪非道であったかをライブでレポートしているのだが、周辺の
住民からすれば、彼らもまた反社会的であり極悪非道であるとしか思えなかった。少なくともそこ
に「正義」などという言葉など存在していなかったのは事実である。

ワタシは日常生活において、プライバシーというものを非常に大切にしている。これは何も自分
のプライバシーだけの話ではない。それと同様に他人のプライバシーというのも大切にしている
つもりである。もちろん本人の許可無くして相手のプライバシーに関わる話をすることは絶対に
ないし、それ以前に、興味本位で相手のプライベートな部分に踏み込むこと自体、「悪」であると
考えている。

しかし、当たり前の話ではあるが、世の中ワタシと同じような考えの人ばかりではない。他人の
噂話がスゴク好きな人ってのがいる。決して悪気はないのであろうが、やはり感心できることで
はない。ましてや匿名性の隠れ蓑を利用して、アングラ系掲示板に本名や電話番号まで晒して
いる輩に至っては、ワタシにはその精神構造ってのはまったく理解できない。一体何がそんなに
オモシロイのであろうか? 根暗というか、陰湿だとは思わないのであろうか??? ぜんぜん
方向性は違うのかもしれないが、何故かついついストーカーとか下着泥棒タイプの人間を連想
してしまう。

あっ! 下着泥棒で思い出した!! 実はワタシ、京都に住んでいた頃、下着泥棒にあったこと
あるのだ。(爆) 当時、ワタシは家族と某マンションの1Fに住んでいたのだが、ベランダに干して
あった下着の内、愚妻と子供の下着は無事だったのに、なぜかワタシのパンツだけが全て盗ま
れていたのである! いや、別に正直に「欲しい♪」と言ってくれれば、その場でサインの1つで
もしてプレゼントしないでもないのだが、やっぱり正体不明の人間に盗まれるってのは気持ちが
悪い。あの時、初めて女性が「下着泥棒は絶対に許せない!」って気持ちが理解できた。(笑)

まぁ、とにかく「噂話の好きな人」も「下着ドロ」も、他人のプライベートな部分をもてあそんでいる
という意味では、精神構造は似ているのかもしれない。

追伸    先月28日に発売された「Yahoo Internet Guide」という雑誌の171Pにある
       「BEST WEB GUIDE」というコーナーで、我々のNight Flightが紹介された!
       このコーナーは自薦・他薦で面白いサイトを紹介しているのだが、S.Tさん
       という方がナイフラを推薦してくれたようである。S.Tさん、どうも有難うござ
       いました。ぜひぜひナイフラ宛にメールを下さいませ。



文月八日(火) 「人生最高のスパイス」
昨日7月7日は「七夕で」あった。そして今日は7月8日は「祝日」である。NZだけの話ではなく、
世界的に祝日なのである! 誰がなんと言おうが祝日であるべきなのである!! なぜか??
デヘヘヘヘヘ・・・・実は今日は我が初恋の人・ヒロミちゃんのお誕生日なのだぁ〜っ!! (爆) 

ヒロミちゃんは中学2年の時のクラスメート。つまり、もう遥か26年も昔の恋なのである。それを
いまだに昨日のことのように覚えているってのは、それだけ「想い入れが深かった」と言うことで
ある。(単に粘着質ってかぁ? 笑)  もちろん、その恋は片想いであった。その後、いくつかの
恋を経験してきたが、あれほど純粋に人を愛したのは、最初で最後であったと思う・・・・・。(これ
ってスゴイ問題発言?)

恋と言えば、いつも強く思うことが1つある。それは、女性が自分の女友達のを男性に紹介する
場合のことでる。誤解を恐れずに言うならば、女性は男性に友達を紹介する場合、必ず大ウソ
をつく。例えば、こちらが「その子、どんな感じの子なの?」と質問したとしよう。それに対し女性
は「すごくカワイイ子よ!」と答える場合が多い。しかし実際に会ってみると、紹介者の女性より
可愛かったことなど1度もない。また「すごくイイ子よ!」と答える時もある。容姿のことを尋ねて
いるのに、「イイ子」などと言う性格の良さをアピールしてくる時も要注意である。

以前、知人Aが会社の後輩と京都に遊びに来た時のことである。会う前日に、知人Aは後輩の
ことを「松本伊代にソックリ!」と豪語していた。そして翌日、知人A御一行様を迎えに行ったの
だが、そこでワタシが目撃したのは、知人Aが家畜の放牧をしているとしか思えないような光景
であった。

誤解のないように言っておくが、ワタシは容姿とかで女性を差別しようという気持ちは全くない。
ただ最初から正確な情報を伝えてくれれば、それはそれで何も気にならないのである。ところが
女性ってのは相手のことを庇う気持ちが強すぎて、逆に勇み足になってしまうのか、事実と異な
る情報を伝えてくるのである。そうすると、男は現実とのギャップに困惑してしまうワケである。

最初から正直に「見た目はマウンテン・ゴリラそのものなんだけど、すごく愛嬌がある子なのよ」
とか、「性格的には陰険で不幸の手紙を送りつけてくるようなタイプなんだけど、容姿は売れっ子
モデルみたいよ!」なんて紹介があっても別にイイと思う。

ちなみにワタシの好みの女性は、いわゆる「面白い人」「変わった人」である。例えば、ワタシが
高校生の頃、清楚な顔立ちとは対照的に、いつも必ずブラウスの後の部分がスカートからズリ
出ている女の子がいた。それを見て、ワタシ、1発で好きになってしまった。他にも知人から非常
に堂々とした体格の子を紹介されたことがあったのだが、初めて会った時に「特技は何かありま
すか?」と聞いたら、その子はマジな顔をしながら、「ビール瓶の入ったケースを一気に2ケース
運べます!」と答えた。これまた一発で惚れ込んでしまった。

とにかくワタシにとっては「顔」とか「スタイル」なんてのは重要なことではないのである。そりゃ、
目が4つありますとか、身長が7m、体重は2トンあるとか言われると、さすがに困ってしまうが、
そうじゃない限りはまったく問題なし! それよりも、やっぱり自分とは違う何かを持っている人
が楽しくてイイと思う。「自分とは違う何か」ってのは、別に職業でもイイし趣味でもイイ。これは
別に女友達に関わらず、男友達についても言えることである。生まれ育った環境が違う人々との
会話は、いつもワタシの人生に最高のスパイスを与えてくれる。



文月九日(水) 「ウォーター・ゲット事件」
ここ十数年の間に、「Water Business」ってのが急成長を遂げいるらしい。昔からよく外国人から
皮肉を込めて「日本人は水と安全はタダだと思っている」と言われているが、つい最近まで日本
では水道があるのに、わざわざお金を払ってまで高い飲料水を買うってことなど考えられなかっ
た。ところが今じゃどこのコンビニでもスーパーでも、必ず「○○の美味しいお水」というのを置い
ている。

ワタシの故郷は高松なのだが、東京や大阪から遊びに来た人がビックリするのが、水道水の質
である。とりあえずメチャメチャ美味しいのである!(燃える郷土愛?) ワタシが子供の頃は、
高松ってとこは毎年夏になると深刻な水不足に悩まされていた。どこの家庭にもプラスチック製
の大きな樽(ゴミ容器)が4〜5個あり、給水制限が始まると深夜の内にその樽や風呂桶に水を
貯めておき、水道がストップしている日中はそこからヒシャクで水をすくって生活用水にしていた
のだ。

給水制限ってのは最初は昼間の数時間だけなのだが、雨の降らない日が続き、水不足が深刻
になってくると、どんどん水の出ない時間が長くなっていき、それでも間に合わなくなると、今度
は「完全断水」ってのが始まる。つまり24時間、水道から1滴の水も出なくなるのである。こうな
ってしまうと、深夜に水を貯めることもできなくなってしまう。もちろん文明生活をしていく上で水
ってのは必要不可欠なものであるからして、「水はありません」では非常に困る。そこでどうなる
かというと、昼間の決められた時間に自衛隊の給水車が町内やってきて、「水の配給」ってのが
始まるのだ。給水車が来ると、老いも若きもみんなバケツや樽を持って車に突進して行き、あり
がたく水を頂戴するワケである。

太いホースを抱え、住民に命の水を配給している自衛隊員の姿は、幼いワタシの目には非常に
カッコ良く写った。心から「この人たちは正義の味方だぁ!!」と思ったものである。世の中には
ちと誤解している人もいるようだが、、そもそも平時における自衛隊(軍隊含む)の最大の任務は
「治安維持」である。現代の日本における「治安維持」ってのは、ほとんどが自然災害や大規模
な事故等を指す。過酷な訓練を積んだ自衛隊員だからこそ、炎天下の中で長時間に渡る給水
作業や、航空事故が起こったときなど、それがどのような難所であろうが救助活動ができるので
ある。憲法論がどうたらこうたらは別として、これは紛れもない事実である・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・ちと話がそれてしまったが、とりあえず昔の人にとっては「水道水=飲料水」であった
ワケである。ところが、実はこれは根本的に大きな誤解なのだ。水道水とは「生活用水」であり、
決して「飲料水」ではないのである。以前、某悪徳業者が単なる水道水を「○○の美味しい水」
と命名して販売していたことがある。で、裁判沙汰になったのだが、「○○の美味しい水」と産地
を偽ったことではなく、生活用水(つまり水道水)を飲料水として販売したことで罪に問われたそ
うである。

19歳の時に京都に越してきて、最初に驚いたのは「水のマズさ」である。京都の水道水っての
は恐ろしくマズイ! 特に夏場は琵琶湖で大量にプランクトンが発生する影響で、メマイがする
くらいにマズくなる。ところが、それでも何年も住んでいるうちに、まったく気にならなくなってくる
から不思議である。さらに雨の降らない日々が続いても、基本的には「いくらなんでも、琵琶湖の
水が全部なくなるってことはねーだろーぉ。」という、非常に強気というか、当然というか、そんな
気持ちがどこかにあるせいか、カラ梅雨もぜんぜん気にならなくなってしまった。

元々は水よりも酒を好むワタシだからして、「エビアン」や「六甲の美味しい水」なんざぁ、買った
ことがなかったのだが、実は最近、みょーに健康オタクになりつつあり、仕事に出掛ける時には
必ずミネラル・ウォーターを持参している。出勤途中の車の中で、おもむろに水をゴクゴクと飲ん
では、「オレって健康的だよなぁ〜」と自己満足しているのだが、その直後にタバコを取り出して
スパスパと立て続けに3本ほど吸ってしまい、「チッ! 差し引きゼロになってしまった・・・・・」と
ボヤくのが日課である。(笑)



文月拾日(木) 「葡萄酒バンザイ♪
ワタシの好きな酒は、ワイン・日本酒・焼酎・ビール・ウイスキー・ブランデー・・・・・ってな感じで、
要はアルコール類であれば何でも好きなワケである。中でも機内で最も頻繁に飲むのがワイン
である。ビールだとトイレが近くなってしまうし、ウイスキーやブランデーだと飲み過ぎると肉体的
にキツイ。そして日本酒は海外の航空会社ではサービスしていないところが多い。そんなこんな
で、機内ではワインを飲むようになったのだ。

さて世の中で何が一番「ウサン臭い」と言って、ワインを語るヤツほどウサン臭いヤツはいない。
特にデートの最中にワインを語っているヤツはアホである。思わず「そんなことを語るヒマがあっ
たら、愛を語らんかい、愛を!!」と言いたくなってしまう。他にも居酒屋とかファミレスでワイン
を語るってのもアホである。なぜ「アホ」だと言い切ることができるかと言うと、ワタシ自身がよく
場末の飲み屋とかで、おでんや味噌田楽を食べながらワインを語っているからである!(爆)

「ワイン」と言うと、聞いただけでなんとなく堅苦しくて難しい飲み物のように思われる方々も大勢
いらっしゃることであろう。確かに非常に奥の深い飲み物ではあるが、決して敷居の高い飲み物
ではない。有名なワインともなれば、1本軽く3万円以上はするし、中には50万円以上するもの
もゴロゴロある。しかし大富豪でもなけりゃ、そんな高級ワインを毎晩夕食の時に飲めるはずも
ない。「ワインのプロ」と言われているソムリエ達でも、家で飲んでいるのは千円前後のワインで
ある。千円前後のワインの中から自分の好みに合った美味しいワインに出逢った時の喜びが、
すごく楽しいんだそうだ。

さて、ここでちょこっとだけワインについて説明をしよう。(←ほら始まった・・・・・・・笑) 世界には
それこそ星の数ほど多くの銘柄のワインが存在しているが、実際に使われている葡萄の種類と
言うのは数えるくらいしかない。具体的に言えば、下記の記した赤4種類、白3種類の計7種が
機内や一般のレストランでサービスされるワインの主な葡萄の種類である。


                       赤ワイン 

        1)カベルネ・ソーヴィニョン        3)シラー(またはシラーズ)
         Cabermet Sauvignon              Syrah (Shiraz)

        2)メルロー                   4)ピノ・ノワール
          Merlot                       Pinot Noir


                       白ワイン 

        1)シャルドネ                  3)リースリング
          Chardonnay                   Riesling

        2)ソーヴィニョン・ブラン 
          Sauvignon Blanc

葡萄の産地によって味ってのはかなり変わってくるのだが、一般的には赤ワインは1)から4)に
行くほど軽い味になる。料理の味の濃さにあわせて1)から4)の中から選べばOKである。特に
ワタシの一押しは、オーストラリア産のシラーズ種である。オーストラリア産のシラーズのレベル
は、どこのブランドのワインでもかなり高く、しかも値段もお手頃とあってかなり人気が高い。

次に白ワインだが、最も有名でありポピュラーなのが1)のシャルドネである。エコノミークラスで
サービスされる白ワインは、100%このシャルドネ種である。味は皆さんがこれまでに味わった
であろう「白ワインの味」である。2)のソーヴィニョン・ブランってのは魚料理の時によく薦められ
るのだが、味は辛口で、よく言えば「爽やか」だが、ワタシには「愛想のない味」ってことになる。
そしてワタシの一押し白ワインが3)のリースリングである。ドイツやフランスのアルザス地方が
有名なのだが、フルーティーな香り、フレッシュな味わいはまさに絶品である。一般的に甲殻類と
ワインってのは致命的に相性が悪いと言われているが、2年程前、ソムリエ世界チャンピョンの
田崎真也氏主催のクリスマスディナーでカニ料理が出た際、このリースリングが一緒に出てきた
のだが、もうメマイがするくらいに抜群の相性であった。以来、ワタシはリースリングをやたらと飲
むようになった。

・・・・と、気がつけば、かなり語ってしまった!(爆) まぁ、大切なのは「自分の好みに合うワイン」
ってのを見つけることであって、理屈なんざぁ、どーでもエエのである。チャン、チャン♪



文月拾壱日(金) 「続・葡萄酒バンザイ♪
ついつい昨日の徒然ではワインを熱く語ってしまった。どうせ語るのであれば、中途半端っての
は良くないので、語り尽くすことにしよう。(爆)

レストランなどでワインを注文すると、まず最初にウエイター(又はソムリエ)が封を切っていない
状態でワインのボトルを状態で持ってくる。そこで客の方は注文したワインに間違いないかどう
か、エチケット(ラベルのこと)を見て確認する。それからソムリエがお客さんの目の前で抜栓し、
そしてホスト(そのテーブルにいる客の中で支払いをしそうな人物)のグラスに、ほんの少しだけ
ワインを注ぎ、ホストはテイスティングをする・・・・・と、まぁ、このような流れになっている。

さてさて、この「テイスティング」ってのを誤解している方ってのが、実は大勢いらっしゃるのだ。
よく中年の気取ったオヤジが眉間にシワを寄せながら、「う〜ん・・・・・・このワインは少し酸味が
強過ぎるな・・・・・・」とかなんとかコメントしているのを見かけるが、ハッキリ言ってあれは単なる
アホである。テイスティングというのは、決してワインにケチをつけるために行うものではない。

テイスティングには大きく分けて3種類ある。1つはワイン製造元(ワイナリー)や輸入業者による
品質管理のためのテイスティング、そしてレストランのソムリエなどによって料理との相性を確か
めるためのテイスティング、最後がお客さんによる毒見的なテイスティングである。

本来「酸味が強すぎる」だの「熟成が足りない」だのは、ワイナリーがやるテイスティングの内容
である。ワイナリーは当然ながら自社のワインの味をよく知っている。だからこそ、その年にでき
たワインの良し悪しを、平年と比較して「酸味が強すぎる」とか「熟成が足りない」となど、冷静に
評価できるワケである。

次にソムリエが行うテイスティングというのは、その店で出されている料理との相性を見るため
のものであり、または逆にワインの味からそれに合う料理をシェフに考案したりすることもある。
従ってソムリエによるテイスティングもまた、ワインにケチをつけるのではなく、そのワインの良い
ところを見つけてやるというのが最大の目的である。

そして最後に我々客側がやるテイスティングであるが、これはまさに「毒見」ってのが主たる目的
である。つまり滅多にないことではあるが、管理状態が悪くて、まったく味の抜けたワインが出て
くることがある。そのような時には、このテイスティングの時にクレームを付ければ、新しいものに
換えてくれるワケである。ただし、これはあくまでも「ワインの品質に問題があった場合」の話で
あって、テイスティングしてみたら自分の好みの味とは違ったって場合などは、無償では交換に
応じてもらえない。

以前、某パーティーの席で田崎真也氏とお話させて頂くチャンスがあり、テイスティングについて
の貴重なアドバイスを戴いたことがある。曰く、「人間と同じで、どんなワインでも絶対に良いとこ
ろがあるんです。それを見つけてあげるのがテイスティングの目的なのです。いつ飲んだら美味
しいか、どんな料理と一緒に飲んだら美味しいかだけではなく、誰と一緒に飲んだら美味しいか
とか、どこで飲んだら美味しいかなど考えていけば、絶対に良いところが発見できるはずです。」

スバラシイ! 実にスバラシイお言葉である! しかし、ここで根っからの嫌がらせ上手なワタシ
は、天下の田崎氏にトンでもない質問を浴びせかけてしまったのだ!

   ワタシ:   それでもどうしようもなく不味いワインってありますよね? 
           そういう時にはどうしたらイイのですか?

   田崎氏:  そう言うときは、「この不味いワインを誰に飲ませてやろうか?」
           って考えるんですよ。そうすれば楽しくなってくるでしょ?(笑)

さすがソムリエ世界チャンピョン、ウイットのセンスもカンペキであった。てなことで、みなさんも、
ワインをテイスティングする際には、そのワインのイイところを見つけてあげようではないか!!
そしてワタシを含めた中年諸氏はワインの講釈をたれる前に、このようなウイットのセンスを磨
こうではないか! (笑) 

                  
                  秘蔵写真 「田崎氏とワタシ」 撮影:ダン隊長


文月拾弐日(土) 「新・葡萄酒バンザイ♪
昨日の徒然で、「ワインの講釈をする前に、ウイットのセンスを磨こう」と決心したばかりなのに、
今日も今日とて能書きをタレることにする。(笑) まぁ、これが最後なのでガマンしてお付き合い
戴ければ幸いである。

今でこそワタシはワインも飲むようになったのだが、10年ほど前まではワインなんざぁマトモに
飲んだことすらなかった。どうも日本酒やビールと比べて軟弱というか、酒というよりはジュース
の延長みたいな感じを抱いていたのだ。ところが、以前の徒然(2月11日付)でも書いたことが
あるのだが、友人からもらった1本の赤ワインをきっかけにして、突如ワインに目覚めてしまい、
以来、飛行機の中や自宅での晩酌に欠かせない飲み物の1つになっている。

「突如ワインに目覚めた」とは言うものの、実を言うと味の良し悪しなどまったく分らなかったし、
まして銘柄による違いはおろか、葡萄の種類による違いだってじぇーんじぇん分からなかった。
そんなある日、レストランで食事をしている時、たまたまヒマだったせいもあり、その店のソムリエ
の方と長時間に渡ってお話する機会に恵まれた。そしてその時、「正しいテイスティングの仕方」
ってのを教えてもらったのである。この場合の「テイスティング」ってのは、ワインの特徴を見極
めてそれを記憶し、そして料理との相性を考えるという、いわゆるソムリエのテイスティング方法
なのだが、普段、ご家庭でワインを飲む際にも非常に参考になると思うのでご紹介しよう。

ワインってのは、スゲー不思議な飲み物で、コルクを抜いてすぐ飲むよりも、しばらくそのままの
状態(コルクを抜いた状態)で放置していた方が味がマイルドになり断然美味しくなる。ワインの
種類やグレードにもよるのだが、千円未満のワインでも白なら飲む1時間ほど前、そして赤なら
2〜3時間ほど前にコルクを抜いておくと、まるで高校時代はブスだった女が、卒業して5年後に
同窓会で再会したら大変身して超美人になっていたってくらい、劇的に変化して美味しくなる。
小難しい理由は省略するが、とにかくワインってのは空気と触れ合うことにより、それまでツボミ
だった桜が一気に開花するように、味がマイルドになり、そして口全体に広がってくるのである。

  <法則1>  ワインは飲む数時間前にコルクを抜いておくと美味しくなる!

さて、ワインを飲む際に、グラスをゆらゆらと揺すっている人を見かけたことはないであろうか?
別に彼らはアル中患者ではない。実はあれはグラスの中でワインと空気を必死で混ぜているの
である。理由は上記で説明した通り、空気と混ぜることにより味が開いていくからである。まるで
洗濯機の中の水流のように、グラスの中でワインをグルグル回して、キレイに空気と混ぜるには
多少の練習が必要かもしれないが、一番簡単なのはテーブルの上にグラスを置いたまま、写真
のような感じでグラスに手を添え、そしてグラスを挟んだまま手のひらで小さな円を描くようにす
れば、自然にグラスの中は洗濯機のようになる・・・・・・と説明しておいてこう言うのもなんだが、
別に深く考えることはない。とにかく空気と混ざりゃイイのである。

                 
                         小さな円を描く感じで

  <法則2>  グラスの中でもワインを空気と混ぜると、またまた美味しくなる!

しっかりと空気と混ざり合ったら、まずは香りをチェックしてみる。コルクを抜いた直後のワインと
はまったく別の香りが広がっていると思う。これはかなり劇的な変化なので、一度、同じワインを
2本買ってきて、一方は飲む2時間ほど前にコルクを抜き、そして飲む前にグラスの中でも空気
と混ぜ合わせ、そしてもう一方はコルクを抜いたら即グラスに注いで、両者の香りの違いを比較
してみれば、きっと感動すると思う。

ところで、ボトルの中で眠っていたワインを揺り起こし、ツボミだった花を開かせるには、上記の
ようにワインと空気を混ぜ合わせれば基本的にはOKなのだが、実はここでもう1つ重要な要素
があるのだ! それはワインの温度である。赤ワインは室温・・・・・・と言っても、クソ暑い真夏の
室温ではなく、秋口の15〜17度くらいの室温・・・・・・・で飲むのが美味しいと言われているが、
これは比較的誰でも容易にセッティングできる。ところが問題は白である。一般家庭では冷蔵庫
で白ワインを冷やすため、どうしても冷えすぎてしまうのである。冷え過ぎてしまうと白ワインの
味は開いてこない。そこで飲む1時間くらい前にコルクを抜き、そのまま冷蔵庫で保存した後で、
今度は飲む30分くらい前に冷蔵庫から出しておくことをお薦めする。そうすることにより、凍えて
いたワインが徐々に精気を取り戻してくるのだ。ま、これもまた人それぞれで、冷やし過ぎたタメ
に味と香りが閉じていたワインが温度の上昇と共に徐々開いていく、その変化を楽しみたいって
人も中にはいるワケで、それはそれで面白いかもしれない。

  <法則3>  ワインを冷やし過ぎると味が広がってこない!

さぁ、ここでいよいよワインをテイスティングしてみるワケだが、ここでもコツがある。まずワインを
ほんの少しだけ口に含む。ここで本来なら、鼻から息を吸い、そして口の中のワインと鼻から吸
った空気を、ウガイの要領でまたまたひつこく混ぜ合わせるのであるが、これは面倒臭いので、
ここでは省略する。とりあえず、ワインを口に含んだら、舌先ではなく出来るだけ舌の奥の方に
ワインを持ってくる。そして舌の奥から舌先に向け、流し素麺のような感じで、ゆっくりとワインを
移動させていくのである。そうすると奥から舌先に流れる過程が、葡萄の種類やワインの銘柄に
よってぜんぜん違うのことがメチャメチャよく判るのだ! 

例えば、あるワインは舌のド真中をストーンと流れ落ちて行き、最後に舌先にピリッと痺れるよう
な感覚があったかと思えば、また別のワインは、舌の真中を通過する時に、横にドーンと広がる
ような感じになり、そして最後は上アゴに痺れる感覚が残ると言った感じである。痺れる感覚と
書いたが、これもワインの種類によってその残存時間が異なる。2〜3秒で消えてしまうものも
あれば、10秒以上続くものもある。もちろん、舌で味わっているワケだから、酸味や渋みなど、
いろんな味を感じると思うが、それらの残存時間・・・・・・いわゆる「余韻」と呼ばれているヤツは
ワインの特性を見分ける重要なポイントとなる。一般的には高級ワインほど余韻が長くなる。

ソムリエの中には、各ワインの特徴を女性に例えて記憶する人もいるそうだ。例えば、先ほど書
いた「舌のド真中をストーンと流れ落ちて行き最後に舌先にピリッと痺れるような感覚」のワイン
であれば、「スリムなキャリア・ウーマン・タイプの女性で、仕事でのミスはピシッと叱る」みたいな
感じである。これはあくまでも各ワインの特徴を自分なりに記憶するための方法の1つであって
決してセクハラではない。(笑) 

 <法則4>  ワインを舌の奥から舌先へ、ゆっくり流すと特長がよく分かる!

・・・・・・・・と、まぁ、凝りもせず、またまたアホほど語ってしまったが、もちろんワインは自分なりの
スタイルで楽しむことが最も大切なことではあるが、正しいテイスティングの方法ってのも知って
おくと、それなりに新しい広がりが出てきて、尚一層面白くなってくると思う。そして、半年後には
ワタシのようなワインを熱く語る、立派な「ウザイ奴」に変身していることであろう。(爆)



文月拾参日(日) 「帰ってきた葡萄酒バンザイ♪
今日の徒然のタイトルを見た途端、たぶん怒り心頭に達した方も大勢いらっしゃることであろう。
まぁ、ワイン好きのオッサンの与太話ってのは常にこんなもんで、果てることがないワケである。
ホントに今日が最後の最後なので、もうしばらくお付き合いを。(笑)

木曜日から3日連続でワインに関するウンチクを書き並べてきたのだが、とっても大切なことを
書くのを忘れていたことに気がついた。フランス料理のレストランに行くと、たいていはワインの
スペシャリストである「ソムリエ(女性はソムリエール)」って人がいる。 大手のホテルであれば、
100%いると言っても過言ではない。ワタシはそのようなレストランでワインを飲みながら食事
をする時には、絶対に彼らにアドバイスを求める。よく考えればすぐに解かることだが、ソムリエ
ってのは、そのレストランのワインの味や品質、そしてその日の料理との相性を一番良く理解し
ている人間である。そんなところでワイン通を気取ったところで所詮はド素人であるオヤジが、
あれこれ能書きをこいても、アホ以外の何物でもない。見栄を張らずに、ここは素直に専門家の
アドバイスを受けるってのが、非常に大切なことなのである。

ソムリエ氏がワインリストを持ってテーブルにやって来たら、ワタシは「今日はこのコース料理を
注文しようと思っているのですが、それに合わせて赤ワインと白ワインをそれぞれ1本、選んで
戴けないでしょうか?」とお願いする。夫婦とか家族っぽい雰囲気であれば、ここでソムリエ氏は
だいたいの予算を聞いてくることもある。しかし、これがいかにもデートです!って感じの時には
予算は聞いてこない場合が多い。男が大見栄を張ってフランチ・レストランでのディナーに女性
を招待しているのに、いきなりお金の話題を出すのは野暮だからである。 本場・フランスにある
気の利いたレストランでは、男性に渡すメニューには料金が書いてあるが、女性に渡すメニュー
には料金は書いていない。これも女性には気兼ねなく自分の好きなものを選んでもらい、ホスト
の男性には予算を検討しながらジックリと選んでもらうための気配りである。

予算を聞かずにソムリエの判断でワインを選ぶと言っても、別に無理に超高級ワインを勧める
なんてヒドイことはしない。通常はコース料理の値段の50 %から70%程度の値段のワインを選
んでくれるのだ。つまり1万円のコースを頼めば、5千円〜7千円くらいのワインを選んでくれる。

ソムリエ氏ってのは、ワインのスペシャリストというだけではなく、その場の総合コーディネーター
という役目も担っている。デート中のカップルであれば、そのデートを成功させるために、様々な
演出や気配りをしてくれる。例えば男の方が彼女の前でカッコ良く振舞いたいがため、一夜漬け
で必死でワインの勉強をして、ワインを注文したとする。ところが、不幸なことに注文したワイン
が、その日の料理にまったく合わないワインだったとしたら、せっかくのデートもブチ壊しになって
しまう可能性もある。かと言って、「そのワインは今日の料理には合いません」などと言おうもの
なら、それこそ男性の面目は丸つぶれである。

そんな時にソムリエはどうするかと言うと、「申し訳ございません。あいにく、そのワインは在庫を
切らしておりまして、それと非常に良く似たタイプで、こちらのワインであればご用意できるので
すが、こちらでもよろしいでしょうか?」と言いながら、その日のコース料理と抜群の相性で、しか
も料金的にも男性が最初に注文したワインと同じか、少し安めのワインを勧めるワケである。
つまり、絶対に男性に恥をかかさないよう、非常に気を遣ってくれるのである。

まぁ、女性の前でカッコよくワインを注文したいっていう気持ちはメチャメチャ理解できるのだが、
今時、そんなことで「うわ〜ぁ、カッコイイ!!」なんて感動してくれる女性はいないと思う。(笑)
従って、やっぱり最初からソムリエ氏に相談するのが一番イイのである。

ちなみに、ワタシはフレンチ・レストランでワインを注文する時だけではなく、小料理屋や寿司屋
に行って料理を注文する時にも、大抵はカウンター席に座り、板さんに「お任せでお願してもよろ
しいですか?」と頼むことが多い。まぁ、イチイチ何を注文するのか考えるのが面倒臭いというこ
ともあるのだが、それ以外にもいろいろ理由はある。

     理由1  その日のオススメ料理が何なのか一番知っているのは板さんである
     理由2  自分で注文すると、結局はいつも同じものしか注文しなくなる
     理由3  自分で注文すると、揚げ物の後に白身魚の造りを頼んだり、辛い物 
           の後に淡白な料理を頼んだり、食事の流れがメチャメチャになる。

板さんも手馴れたもので、まず最初に必ず「今日のお腹の具合はどんなもんですか?」と聞いて
くれる。もし腹ペコなら腹ペコで、そう伝えればシッカリとした料理を出してくれるし、それほどでも
なければ、酒の肴を中心に出してくれる。そういえば、以前京都の太秦にある某能登料理の店
に初めて行った時、「お任せでお願いします」と言ったら、そこの主人が「んなもん、‘お任せで’
って言われたら、古いもん、腐りかけのもんから出すでぇ。ハハハ」と言われたことがある。(笑) 
もちろんこれは関西一流のジョークであり、実際に出てきた料理は、どれもこれも最高の一品で
あった。

どんな大型客船でも港に入る直前に「水先案内人」と呼ばれる、その港のことをすべて知り尽く
した船乗りが船に乗り込んできて、港の入口から波止場に停泊するまでの間、船長に代わって
他の乗組員に指示を与える。ソムリエや板さんってのは、いわばその店の「水先案内人」と言え
るかもしれない。



文月拾四日(月) 「暑中お見舞い申し上げます!
イメージ的には日本はとっくに梅雨なんざぁ明けたとばかり思っていたのだが、天気図を見てみ
ると、梅雨前線が思いっきり日本を東西に横断する形で停滞しているようである。梅雨ってのは
タダでさえ鬱陶しいものだが、屋外で仕事をしている方々にとっては、まさに「もうイヤ!」と言い
たくなるほどイヤな季節だと思う。

さてさて、そんな日本から1枚の絵葉書が手元に届いた。知人のY君からの暑中見舞いである。
季節の挨拶を欠かさず送ってくれる律儀なY君なのだが、グローバルな感覚はないようである。
「暑い日々が続いていますが、如何お過ごしでしょうか?」はイイのだが、今NZは思いっきり冬
である。(爆)

Y君は以前ウチの会社でアルバイトをしていた子である。アルバイト情報誌を見て、履歴書片手
に来社したY君は、ものすごくインパクトのある大学生だった。容姿はごくごく普通だったのだが、
履歴書を見た途端にワタシは文句なく彼を採用してしまった。彼の履歴書には次のように書か
れていたのだ。

                ●趣味:野球   

                ●特技:流し打ち

もう会社中で大爆笑であった。趣味が「野球」ってのはイイとして、特技のところには「そろばん」
とか「英会話」って書くのが普通である。それをマジメに「流し打ち」と書いてしまうところにホレて
しまったのだ。(笑) アルバイト採用後も、彼は数々の神話を築き上げたのだが、その中で最も
スゴかったのが「血まみれ爆走事件」である。

Y君は非常にマジメな大学生で、無遅刻・無欠勤は当たり前、約束事はキッチリと守り、仕事も
卒なくこなす優秀なバイトであった。彼は下宿先のアパートから30分ほどかけていつも自転車
で通勤していた。

さてある日、ワタシは彼を引き連れて日帰りで福岡に出稼ぎに行く予定になっていた。朝8時に
会社で待ち合わせの約束をしていたのに、8時を過ぎてもY君はやって来ない。さらに何の連絡
もない。「お? 珍しく寝坊か??」と思いながらY君を待っていたら、8時半になってようやく彼が
会社に現れた。

「オイオイ、よりによって出張の日に遅刻するなよ〜っ・・・」と、ドアから入ってきたY君に言おうと
したワタシは、彼の姿を見て呆然としてしまった。ナント彼は全身血だらけだったのである!! 
「ど、どうしたの!」と声をかけると、彼は「お、遅れてスミません! 車に轢かれてました!
と言い放ったのである。定時に家を出発した彼は、トラックに轢き逃げされてしまい、自転車が
壊れてしまったので、事故現場から走ってきたそうなのである。スゴ過ぎる根性のY君であった。
もちろん別の社員がすぐに病院に連れて行ってあげたのだが、彼は鎖骨骨折及び全身擦過傷
の重傷であった。その状態で普通は走る気力など沸かないと思うのだが・・・・・。

そんなY君も、今では2児の父親である。奥さんはY君よりも2年遅れでウチの会社にアルバイト
として入社してきたM子ちゃんである。ひょっとしたら、彼はウチの会社でアルバイトをすること
になった瞬間、2年の時を越えてまだ見ぬM子ちゃんにプロポーズをしていたのかもしれない。
そう思うと、何か自分が彼らの「愛のキューピット」だったような気がして、みょーに幸せな気分に
なってしまった・・・・。(単純?)



文月拾伍日(火) 「創造力と思考力
昨日の夜、某予備校に勤める知人から「寒中見舞い」の電話があり、久しぶりにウダウダとしゃ
べった。男も40歳を過ぎてくると、色恋の話が少なくなり、どうしても「愚痴」ってのが多くなる。
彼もご多分に漏れず、「今時の子」についての愚痴(というよりは懸念)をいろいろこぼしていた。

ここ十数年で子供の学力が恐ろしいくらい下がってきているそうである。ストレートにいうならば、
どんどん「アホ」になってきているのである。特に国語力と思考力の低下が著しく、現場を知ら
ない無知無能な役人が考え出した「ゆとりの教育」とやらの影響で、この傾向は加速度的に進
んでいるそうである。ワタシは教育の現場にいるワケではないのだが、「学力低下」に関しては
何となく思い当たる節がある。

例えば、NZに遊びに来ている若者の会話などに耳を傾けてみても、「知性」や「品性」をまったく
感じないことが多い。「これ超スゴイじゃん!」「うわ〜超キレイ!」「超カッコイイ!」などのセリフ
を聞くにつけ、「オマエは<超>以外に形容詞を修飾する副詞を知らんのかい!!」と叱りつけ
たくなってしまうワケである。いや別に流行言葉として仲間同士の会話の中で使うのならばイイ
のだが、知人曰く、これを小論文の中でも頻繁に使っているらしい。「日本の経済はバブル崩壊
以降、超イケていない」と平気な顔で書いている生徒を見かけるにつけ、タメ息しか出てこない
と言う。

ここで大胆な推測を許して戴けるなら、学力低下は「子供の遊びの変化」が原因の1つじゃない
かと思う。その昔、日本がまだ貧しかった頃は、子供同士が集まれば「鬼ごっこ」や「ダルマさん
が転んだ」など、例え何も遊び道具がなくても子供達は楽しく遊んでいた。そこに空き缶や木の
棒なんかがあれば、それこそ遊びの種類は無限に広がっていたものである。

ところが子供の遊びの世界もOA化?が進み、「ファミコン」という怪物が登場してからと言うもの
は、子供達は遊びの中で創造力や思考力というものをまったく必要としなくなった・・・・な〜んて
書くと、「ファミコンをやる時にだって思考力は必要ですよ。それがなきゃ、攻略できませんもん」
と絡んでくるオタキーなファミコン擁護論者の方もいらっしゃることであろう。しかし、よく考えてみ
て戴きたい。ファミコン・ゲームというのは、最初からソフト制作者によってゴールが用意されてい
る。つまり「攻略したぁ!」と言っても、所詮は「お釈迦さんの手の中で遊んでいる孫悟空」みたい
なモノであり、実は制作者によって与えられた制限区域内で遊ばされているだけである。まして
やその区域内において、「攻略本」と呼ばれるガイドブックを見ながら遊ぶに至っては、言ってみ
ればカンニングペーパーを見ながらテストを受けているのと同じであり、そこに創造力や思考力
などはまったく必要ない。まぁ、そんなことを物心ついた頃から大人になるまでずっーと続けてい
れば、そりゃアホにもなるだろう。

どんな辺鄙なところであろうが、既に道路があるところを歩くのに頭を使う必要などない。たとえ
交差点に出くわしたところで、選択肢は右に行くか左に行くか、真っ直ぐ行くか、それとも後戻り
するかの4種類しかないワケであり、ヤマ勘でどうにでもなるのだ。ところが、アフリカの大草原
やブラジルの奥地など、道などないようなところを進んでいくには、できるだけ多くの情報を収拾
し、あらゆる角度からそれらを検討・判断し、そして様々な工夫をしなければならない。でなきゃ
ヘタすりゃ死ぬかもしれないのだから。ホントの創造力とか思考力と言うのは、制限区域を越え
て進んで行かなければならない時、つまり常識の範囲を越えた状況に遭遇した際、問題を解決
していくのに絶対に必要な力のことである。



文月拾七日(木) 「成田離婚」
「成田離婚」ってのをご存知であろうか? 盛大な結婚式を挙げた後、成田空港から新婚旅行
に出かけたものの、旅先で初めて見るパートナーの情けない言動に対し、激しい心理的ショック
を受け、成田に戻ってきた途端、そこから実家に直行し、そのまま離婚することを意味する用語
である。ワタシには信じられないことなのだが、実際このようなカップルが少なからず存在するら
しい。

女性は独身時代に少なくとも年に数回は旅行に出かけており、そのうちの1回は海外旅行って
人も多い。つまり新婚旅行に出かける頃ともなれば、既に「旅行の達人」の域に入っているので
ある。まぁ、そんなベテランからすれば、普段のデートの時にはあれほど逞くてカッコ良く見えた
パートナーがちょっと環境が変わっただけで途端にオロオロする姿を見るにつけ、「ホントにこの
人について行って大丈夫なのだろうか・・・」と、急に不安になってしまい、それが新婚旅行中に
積もり積もって、成田に戻ってきた時についに爆発してしまうというワケである。

そもそも、男性ってのは一部の例外を除いて(このサイトの常連には、この‘例外’に属する人々
がやたらと多いが・・・・・・・笑)、学校を卒業して働き始め結婚するまでの間に行く旅行と言えば
せいぜい会社の社員旅行か、はたまた学生時代の悪友が集って夏場に1泊2日で海水浴場に
行く程度のもんである。じゃ、男は何にお金をつぎ込んでいるかと言うと、実は「クルマ〜すぅ♪」
ってっ人が意外と多い。中には給料の大半を車につぎ込んでいるというツワモノも珍しくない。
まぁ、その辺の年代の男性にとっては、「海外旅行」よりも「車」にお金をつぎ込む方がの遥かに
有意義なことであり、そのせいか「初めての海外は新婚旅行の時で、それが最初で最後の海外
旅行でもあった」って男がけっこう大勢いるんだなぁ、これが。(笑) まぁ、男性と女性、初めての
土地でどちらが大胆かつアクティブかというと、そりゃ断然女性である! 男ってのは犬と同じで
自分のテリトリー内でしか威張れないのだ。(笑)

このことは食生活1つとってみてもよく解かる。いくらグルメを気取っていても、男にとって旨いか
マズイかの判断基準はどこにあるかと言えば、所詮は「オフクロの味」である。母親の味に近け
れば近いほど「おっ! イケてるじゃん!」ってことになり、離れれば「マズイよ、コレ!」ってこと
になる。ま、試しに身近な男性に「どこのカレーライスが一番美味しい?」と聞いてみてほしい。
たぶん「かーちゃんの作ったカレーが美味しい」と答える男が多いと思う。(笑) とにかく男性って
のは食に関しては非常に保守的なワケである。

ところが女性はチャレンジャーが多い!(特にB 型女性) どんな料理でも見た目や材料だけで
は判断せずに、必ず食してみてから旨いかマズイかを判断する。しかも、その判断基準となる
のは母親の味ではなく、あくまでも自分の感性である。従って大半の男性は海外旅行に出かけ
ると少々痩せて帰ってくるのに対し、女性は1〜2kgほど太って帰ってくる人が実に多いのだ。
特にイタリア旅行などしようものなら、2kgどころの騒ぎではない。イタリアのホテルのレストラン
で朝っぱらからゴーカイに食べているのはたいてい女性であり、その横で男性は疲れきった顔
をしてコーヒーだけをすすっており、見ている者の哀れみを誘う。

まぁ、こんな感じで、基本的に価値観の違うが男女が海外旅行に出かけりゃ、そらトラブルの1つ
や2つ起こっても当然であろう。しかし、よく考えてみれば、ワタシは上記の男性像の典型的な
タイプかもしれない。まず根本的にレジャーとして海外旅行に行く発想など全く持ち合わせてい
ないし、仮に行ったとしてもホテルから一歩も出ない可能性が高い。さらに旅行先がイタリアだろ
うがフランスだろうが、100%和食しか食べないと思う。(しかもルームサービスで) こりゃ成田
離婚どころか、その場でレッド・カードだろうなぁ。(笑)



文月拾八日(金) 「クルマ万歳!」
昨日の徒然で「独身男性にとっては海外旅行よりも車にお金をつぎ込む方が遥かに有意義」と
思いっきり断定的に書いたが、なぜこれほどまでに自信タップリに断定できたかと言うと、実は
何を隠そうワタシ自身が「クルマ大好き男」で、独身時代にはそれこそ給料の大部分、イヤ全部
を「酒とクルマ」につぎ込んでいたこともあったのだ。愛車は常にピカピカに磨き上げて、もちろん
車内はお約束の土禁(土足禁止)で、内装はALL豪華チンチラ張り(←この単語知ってます?)、
天井には巨大なシャンデリア、しかも何故かミラーボール付き!(爆)  ま、言ってみりゃ車内は
ほとんど「怪しげなBAR」ってな感じであった。当然ながら雨など降ろうものなら、愛車での外出
を控えたものである。(笑) 

さてクルマと言えば、今でこそ赤や青など、色とりどりのクルマが街を走っているが、ちょいと前
までは、ボディーカラーの王道はナンと言っても白であった。確か「ほんどの人から好かれている
無難な色だから」というのがその理由だったと思う。一方、ヨーロッパなどは赤いクルマがとても
よく似合う。これは恐らくレンガ作りの街並みによく溶け込むからであろう。ヨーロッパでは景観と
言うものを非常に重視する。日本だと京都には「景観条例地区」というのがあり、例えば観光地
として有名な「嵐山(あらしやま)」では、「景観を損ねてしまう可能性がある」という理由で、白色
の壁の建物を造ることはできない。実際、北野武が嵐山のど真ん中に、カレー専門のレストラン
をオープンした際、完成当初は壁が真っ白だったため、京都市から塗り直しを命じられたことも
あった。

それにしても昨今のクルマの装備は、ワタシにしてみればマジで驚異的である。ちょいと前まで
「フル装備」といえば「エアコン・パワステ・パワーウインドウ」のことを指していた。しかし、そんな
モンは今では思いっきり標準装備である。それどころかカーナビを搭載しているクルマも数多く
ある。実は今から十年以上前にワタシが乗っていたクルマにも、日本初の純正カーナビが搭載
されていた。ところがこの純正カーナビってのが、現在のように衛星からの電波を捕捉して自分
の位置を画面上に示す方式(GPS方式)ではなく、方位磁石と走行距離から自分の位置を割り
出す方式であったため、誤差がめちゃめちヒドかったのである。走行時の誤差はもちろん、極端
な話、神戸からフェリーに乗って九州まで行ったとしても、車自体は走行していないのでカーナビ
はまだ現在位置を神戸として表示してしまうのである。

アクセサリー装備やエンジンなど、これほどまでに驚異的な進化を遂げてきたクルマなのだが、
2箇所だけ基本的にまったく進化してない装置があるのだが、お分かりであろうか?(笑)  実は
ワイパーとウインカーである。今も昔も、この装置だけは基本構造はまったく変わっていない。
そう云えば20年ほど前、N社のCという高級車のパンフレットを見ていて大笑いしたことがある。
そのパンフレットには「最新テクノロジーの数々」と題して、新型エンジンや電子制御のエアサス
の説明を書いてあったのだが、それに混じって「ドアミラー・ワイパー」というのが紹介してあった
のだ。早い話がドアミラーに小さなワイパーがついていて、雨の日でも後方の視界をバッチリと
確保できると云う優れモノの技術ってワケである。しかし、これを「最新テクノロジー」って云うの
は如何なものかと思ったものだ。(笑)

ところでワタシの住むNZってとこは、タクシーとバスやトラックなどの大型車を除いて、ほとんど
のクルマが日本車である。そしてその6割くらいが日本でお払い箱になった中古車なのである。
日本で10年落ちの車と言えば、その査定額は限りなく0円に近いだと思うのだが、それらがここ
NZでは30〜60万円で販売されている。特にセルシオなどの高級車は、10年以上前のモデル
でも、NZでは400万円前後で売買されている。輸送費とか関税を考慮に入れても、ボロ儲けの
商売と言えよう。

日本から中古車をそのまま輸入してるってことで、時々面白い車を目にすることがある。ワゴン
車や小型トラックに多いのだが、ボディーに「○○造園」とか「○△幼稚園」など日本で使われて
いた時のペイントを残したまま走っているのである。異国の街でこれらを見かけると、かなり笑え
るのだ。さらに知り合いのNZ人の愛車には、なぜかダッシュボードのところに「女子便所」と書か
れたプラスティック製のプレートが貼ってある。このところ欧米では「漢字ブーム」ってのが巻き起
こっているらしいが、彼もまた漢字の持つビジュアル的デザインが好きなのだそうだ。しかし自慢
そうにそのプレートを貼っている本人に、その意味を説明することなど、さすがのワタシにもでき
なかった。(笑)



文月拾九日(土) 「ペット論」
偶然と言うものは恐ろしいものある。ダン隊長から「本日の徒然のお題はペット」という指示書が
メールで届いた。その直後、今度はファンの方から「捕鯨問題についてのご意見をお聞かせくだ
さい」というメールを頂戴した。ペットにしろ捕鯨問題にしろ、まぁ、動物に関することには違いが
ない。そこで今日は「ペットとしてのクジラ」と題して、徒然なるままに書こうとも思ったのだが、
どうも無理がありそうなので、ここは大人しく1つずつ書くことにする。で、本日はまず「ペット」の
方から。

「華道」というお稽古ごとがある。まぁ、ちょいと前までは「華道」と「茶道」は花嫁修業の必修科目
と云われた時代もあった。さてその華道であるが、ワタシ以前からちょっと素朴な疑問と言うか、
偏見と言うか、まぁ、少々批判的な意見を持っている。華道をやっている人は本当にお花が好き
なのであろうか? 自然の中で健気に生きていた草木をとってきて、そして「芸術」の名の下に
切り刻み、そして狭い花瓶に活けるだけでは飽き足らず、「お免状制度」まで作っている。中には
「自然に生えていた時よりも美しくしてあげる・・・・・・・・つまり女性の化粧と同じことなのです」と
主張する人もいるのだが、思わず「アホか!」と叱り付けたくなってしまう。草花は決して人間の
ために咲いているのではない。別に美しくなりたいと思っているワケでもない。そのような主張は
単なる人間のエゴである。さらに自然よりも美しいものなど絶対にありえない。不自然派の巨匠
と呼ばれているワタシが言うのだから間違いない!(爆) それならば、自然には勝てないと思い
ながらも、何とか自然の美に近づこうと努力している「ペーパー・フラワー」のアーティストの方が
純粋に草花のことを愛しているような気がするのだ。

で、ここでようやくペットの話になるワケだが、基本的にはワタシは動物好きである。(マジマジ)
しかし「ペット」という概念にはちと抵抗を感じる部分もある。理由は華道に対する意見と同じで
ある。でも、まぁ、ペットを飼っている人の多くは、「ペット」というよりも「家族の一員」という認識を
持っているので目くじら立てるほどの問題ではないかもしれない。

さてペットの代表格と言えばイヌとネコである。どちらを飼うかによって、飼い主の性格ってのが
ある程度分かる。まずイヌ派だが、彼らは「忠誠心」や「義理人情」というのを重んじる人が実に
多い。「イヌは三日飼われたら、その恩を一生忘れない」という格言が示すように、イヌってのは
実に義理堅く、そして命令されることを好む動物である。まさに忠誠心を求める人々にはもって
こいの動物なのである。たぶんイヌ派はA型に多いのではないかと思われる。

一方、ネコ派はどうかというと、「自由」を愛する人々が多い。「イヌは三日飼われたら・・・・・・」と
書いたが、ネコってのはお腹が空いた時には、それこそネコ撫で声で擦り寄ってくるが、エサを
与え腹が一杯になった途端、とっとと自分のお気に入りの場所に移動して昼寝を始める。飼主
に対する感謝の気持ちなどカケラもない。そしてまた退屈になってくると、擦り寄ってくる。要する
に、自由気ままというか非常に自分勝手な動物なワケである。しかしネコ派の人々は、「人間に
媚びないところが高貴でイイんだよぉ」と主張する。恐らくネコ派にはB型が多いのではないだろ
うか?(笑)

「義理人情のイヌ」 vs 「自由を愛するネコ」の構図は、そのまま我々の文化にも色濃く反映され
ている。例えば、「ハチ公物語」とか「太郎と次郎」や「フランダースの犬」など、イヌに関する映画
というのは、人々の涙を誘うものが実に多い。一方、ネコの方はどうかと云うと「化け猫」に代表
されるように、オカルト物一色である。ミツバチですら母を訪ねて旅をすると言うのに、ネコって
のは、あろうことか化けて出てくるのである! ワタシの知る限り、日本で多少なりとも義理人情
ってのを持っていたネコってのは、「サザエさん」に出てくるタマと、「秘密のアッコちゃん」に出て
くるシッポナ、そして「エースを狙え」で主人公の岡ヒロミが飼っているゴエモンくらいのもので
ある。

・・・・・・・と、ここまで書いたところで、勘のイイ読者であれば、「オイオイ、やけにイヌの肩を持つ
じゃないか。ナンか身にヤマシイことでもあるのかぁ?」と思われたことであろう。 ハイ、正解♪
実はワタシには思いっきりイヌに対して懺悔しなくてはならないことが過去にあったのである!

ワタシは学生時代、学習塾でアルバイトをしていたことがある。その塾の経営者が1匹の柴犬を
飼っていた。まだ子供の柴犬だったせいか好奇心タップリで、非常に人なつっこく、どう考えても
番犬は勤まりそうになかった。ペットを飼っている人には実に多い勘違いなのだが、彼らはどうも
自分のペットは誰からも愛され、そして人間と同等に賢いと思っているフシがある。ワタシも一応
は社交辞令で経営者の前ではその柴犬の頭を撫でたりしていたのだが、そうするとイヌの方も
図に乗ってワタシにジャレついてくる。すると経営者は必ず「やっぱりウチの○○ちゃんは、イヌ
好きの人のことが分かるんだぁ! ね〜ぇ、○○ちゃん」と云ってくるのである。ったく、大笑いで
ある。思わず「コイツ、ぜんぜん分かっとらんやんけ!」とツッコミたくなったことなど、1度や2度
ではなかった。

さて、そんなある日のこと。ワタシは毎月少しずつ貯めていたお金で、生まれて初めてスーツと
いうものを買い、嬉しさのあまり早速そのスーツを着てアルバイトに出かけた。そしていつものよ
うに塾の裏口から中に入ろうとした、まさにその時、ヒマを持て余していたその柴犬が、ワタシ
の足元に勢いよく飛びついてきた!  ビリッ・・・・・・ヤツのツメがスラックスのヒザの部分を無残
にも破いてしまったのである。両者の間に一瞬の沈黙が流れた。ヤツは「ち、ち、違うんですぅ!
決してワザとやったわけじゃありません! つい勢いが余ってしまって・・・」と、目で訴えていた。
しかし、怒り心頭に達したワタシは、ヤツの胸倉(実際には首輪)をつかむと、その横っ面を思い
っきり張り倒したのである。すると、なんとヤツは鼻血を流してしまったのだ! ワタシは慌てて
ポケットからティッシュを取り出し、ヤツの鼻の穴に詰め込もうとしたが、ヤツはそれを拒否した。
それ以来、ヤツはワタシを見かけると、実に嫌そうな目をして、そそくさと犬小屋の奥深くに入り
込んでしまうようになったのだ。(知ってました? イヌって嫌な人に対しては、思いっきり嫌そう
な目つきをするんですよ! マジで。)

若気の至りとは云え、ホントにヤツには悪いことをしたと今でも思っている。何も鼻血が出るほど
強く張り倒さなくてもよかったと深く反省している次第である。そんなこんなの負い目もあり、つい
ワタシはイヌ擁護に回ってしまうのである。(笑)



文月弐拾日(日) 「クジラ論・前編」
数ある和食メニューの中で、海外でも人気抜群の料理といえば、文句なく「寿司」であろう。ナマ
の魚を欧米人が食べなかったなんてのはもう過去の話で、今じゃニューヨークやロンドンの寿司
レストランに行ってみればお分かりの通り、日本人よりもむしろ地元の人々で大賑わいである。
もちろん、我々日本人にとっても寿司は大人気であり、特に回転寿司が登場して以来、以前は
「庶民には高嶺の花」であった寿司がグンと身近なものになった。

お寿司を構成しているパーツの中で主役といえば、ネタ(刺身)の部分になるワケだが、それと
同じくらいシャリ(ご飯)だって重要である。もし、ある日突然、「稲穂愛護団体」という名称の妙な
団体が現れ、「自然の中で一生懸命に生きている稲穂をむしり取って食べるなんて残酷!今後
は白米を食べちゃダメ。米食反対!」なんてデモを起こしたら、皆さんはどう思われるだろうか?
さらにそこのメンバー達が、パンはバリバリ食べていて、「小麦は米と違ってアホだから食べて
もイイのよ〜ん♪」なんて主張しようものなら、恐らく大半の方々は「コイツらはアホか?」と思う
ことであろう。実はこれは架空の話ではなく、これと同じようなことが現実に今の日本で起きてい
るのである。

今から30年ほど前、まだワタシがカワイイ小学生の頃、よく給食のメニューに鯨肉が出ていた。
その頃は鯨肉ってのは別に高級品でも何でもなく、どちらかと言うと非常にありふれた食材であ
り、我々日本人にとっては貴重な動物タンパク源でもあった。ところが現在、我々の食生活の中
から鯨肉が抹殺されようとしている。スーパーではまったく売られていないし、たまに小料理屋で
「鯨の尾の身」を出しているところもあるが、薄っぺらいスライスが4〜5枚ほど盛られた皿でも
軽く千円以上はする。実は大型のクジラを商売として捕ることが禁止され、市場に入ってこなくな
ってしまっているのである。

皆さんもニュースなどで「国際捕鯨委員会(IWC)」という言葉を一度は聞いたことがあると思う。
この委員会は今から55年前の1948年、アメリカ、イギリス、フランス、旧ソ連、オーストラリア、
ニュージーランドなど計15カ国が集まり、「鯨類の保存とその合理的利用ならびに捕鯨産業の
秩序ある発展」を目的として設立された団体である。意外に思われるかもしれないが、その当時
これら15カ国も思いっきり捕鯨国だったのだ。と言っても、彼らの目的は鯨肉ではなく、ナント鯨
から採れる油・・・・いわゆる鯨油だったのである。その油を原料として、ロウソクや洗剤、口紅、
そしてマーガリンなどを生産していたのだ。そして油以外の残り90%の部分はすべて海洋投棄
・・・・・つまり海に捨ててしまっていたのである。(ちなみに日本は鯨肉や油は言うに及ばず、骨や
皮に至るまですべて利用している)

さらにどうせ手間ヒマかけるのであれば、できるだけ大きなクジラを捕獲した方が効率がイイ♪
ってわけで、大型の鯨を集中的に捕りまくった。例えば、当初20万頭ほど生息していたと考えら
れているシロナガスクジラを、日本は2万5千頭捕獲したのに対し、イギリスはなんと約7万頭、
ノルウェーに至っては8万2千頭も捕っていたのである。先ほど「鯨類の保存とその合理的利用
ならびに捕鯨産業の秩序ある発展」ってのがIWCの設立目的であったと書いたが、この状況を
考えれば思わず納得してしまう目的だと思う。

と、まぁ、最初の内は「クジラが絶滅したら元も子もなくなるから、みんな考えながら捕ろうネ♪」
ってことで話がまとまっていたのだが、1960年代になって事態が急変し始めた。それまで鯨油
で作られていた工業製品が、ひまわり油、綿実油、パーム油、石油などでも作れるようになった
のに伴って、それまで油だけを目的に捕鯨していた国々が次々に非捕鯨国に変身してしまった
のである。普通に考えれば、捕鯨国が減ったワケだからして、日本としてはこれでクジラの絶滅
など心配せずに、安心して捕鯨に専念できる状況になるハズであった。ところがだぁ! それら
非捕鯨国に変身した国々は、「非捕鯨」では飽き足らず、徐々に「反捕鯨国」になり、現役で捕鯨
を続けている日本のことを非難し始めたのである!! まさに「盗人猛々しい」たぁ〜このことで
あろう・・・・・・と、少々コーフンしてきたところで、この続きはまた明日。



文月弐拾壱日(月) 「クジラ論・中編」
昨日に続いて捕鯨物語である。捕鯨国から一転して反捕鯨国に変身し、そして現役で頑張って
いる日本を始めとする捕鯨国を強烈に非難し始めた欧米各国。その手口ってのが巧妙というか
イヤらしいというか、とにかく手段を選ばず攻撃をしかけてきた。例えば委員会で何か決議を出
すときには、IWC加盟国の3/4以上の賛成票が必要になるのだが、その数を確保するために、
捕鯨国の加盟を呼びかけると同時に、元々鯨を捕る習慣のない国々をジャンジャかIWCに加盟
させ、そして自分たち反捕鯨派勢力に加えていったのである。しかしそれでもまだこの段階では
捕鯨反対の理由は「クジラは絶滅の危機に瀕しているから」という、一見するとまだマトモなもの
であったし、事実シロナガスクジラなどの大型クジラは絶滅の危機に瀕していた。

では現在も尚、クジラってのは絶滅の危機に瀕しているのであろうか? 実はクジラと言っても
体長30mを越えるシロナガスクジラから、体長1mくらいしかないコガラシネズミイルカに至るま
でアホほど種類は多く、一般的には体長4mを越えるものをクジラ、それ未満のものをイルカと
呼んでいる。IWCの中には「科学委員会」ってのがあり、そこの調査ではカワイルカなど少数の
種類を除けば、絶滅に瀕しているクジラはぜんぜんないそうなのである。かつてはかなりヤバイ
状況まで減少したシロナガスクジラやセミクジラも、現在はカンペキに保護されている状態だし、
日本が商業捕鯨の再開を求めているミンククジラに至っては、日本近海および南氷洋だけでも
80万頭近く生息しており、これは捕鯨を再開しても何ら問題のない水準である。

物事を判断する時には、科学的データに基づいた裏付けが非常に大切である。科学委員会は
これら科学的データをIWC総会に提出してきたのだが、反捕鯨派は本会議においてこれららの
データをキレーに無視! 93年の総会では、ついにIWC科学委員会の委員長が、自分たちが
示したデータを無視され続けたことにブチ切れしてしまい、辞任してしまったことすらあった。

現在、日本が行っているのは、「商業捕鯨」ではなく「調査捕鯨」である。この調査捕鯨ってのは
国際捕鯨取締条約により正式に認められた調査で、その結果はもちろんIWC科学委員会にも
提出されている。(つーか、そもそもIWC自体がこの条約の執行機関なのである)  この調査に
より、これまで謎とされてきたクジラの生態が次々に解明されていった。例えば、昔はヒゲクジラ
はプランクトンやオキアミだけを食べていると考えられていたのだが、実はサンマやイワシなど
小魚も食べており、日本鯨類研究所の試算では、日本近海だけでも年間に5,000万トンの魚を
クジラが食べていることが解かった。ワタシもサンマやイワシは好きだが、いくら何でも5,000
トンは食べ過ぎである! ちなみに日本の漁業生産量は80年の1,200万トンをピークとして年々
減少し、現在では年間600万トンにまで落ち込んでしまい、不足分は輸入に頼っているというの
が現状である。つまり人間の11倍も魚を食べているクジラの必要以上の保護は、漁業危機すら
招きかねない危険性もあるのだ。

さて、このように様々なクジラの生態を明らかにしてきた調査捕鯨に対しても、IWCは「調査は
鯨を殺さない方法で調べるべきである」として、調査捕鯨の自粛を何度も日本に要求している。
ここまでくると、もはや大笑いである。IWC反捕鯨派の面々は、「ね〜ぇ、今日の夕食は何だった
のかしらん?」と尋ねれば、クジラが「今日はイワシを食べたよ〜ん♪」と答えてくれると思って
いるらしい。参考までに、「国際捕鯨取締条約」の規定では、捕獲調査が終わった後のクジラに
ついては、鯨肉などの副産物は国民の消費のために販売してもイイことになっている。従って、
現在市場に出回っている鯨肉は決して違法なものではない。またその収益は調査費用の一部
に充当されている。なお、市場に流される鯨肉だが、これは各都道府県の消費実績に基づいて
公平に分配されている。 (後編に続く)



文月弐拾弐日(火) 「クジラ論・後編」
さぁ、今日も元気よくクジラの話の続きをしよう♪

捕鯨の歴史を紐解くと、今から約千年以上前の9世紀頃にノルウェー、フランス、スペインで始ま
ったのがその起源と言われている。一方、日本でも12世紀には銛(もり)による捕鯨が始まって
いる。もちろん、その頃は手で銛を投げての非常に原始的な捕鯨であった。これが16世紀初頭
になると和歌山県の太地で組織的な捕鯨が始まり、16世紀末には同じく太地で網取り式捕鯨
が考案され、それにより捕鯨が急速に普及し始めた。 以来、1948年の国際捕鯨委員会(IWC)
設立に至るまでのまでの間、世界各国で盛んに捕鯨が行われていたワケである。

さて捕鯨国が中心となって捕鯨の管理と発展を目的に設立されたIWCだが、欧米諸国が捕鯨
から撤退するようになってきてからというもの、徐々に当初の目的とはまったく異なる方針をブチ
かますようになってきた。捕鯨国→非捕鯨国→反捕鯨国→嫌捕鯨国と変貌するに従い、目的も
捕鯨の管理→クジラの保護→捕鯨の制限→商業捕鯨禁止→調査捕鯨縮小・・・・とエスカレート
し、現在では全面捕鯨禁止まで言い出しているのである。

かつては「クジラ・オリンピック」と呼ばれるほど、各国が競ういあうようにクジラを乱獲してしまっ
たこともあり、「これじゃイカン!」ってことで、捕鯨の管理を始めたこと自体はスバラシイことで
あるし、絶滅に瀕したクジラを保護し、そして捕鯨を制限するのもこりゃ解かる。ところが、その後
が問題なのである。クジラを保護して資源を確保するには、当然ながら科学的なデータが必要
となってくる。ところが昨日の徒然にも書いたように、鯨油に代わる油が見つかり、スッカリ鯨に
は用のなくなってしまったIWC反捕鯨派の面々は、自分たちの組織内に設立した科学委員会
が丹念に調べ上げたデータをも無視し、まったく何の科学的根拠もなく「クジラは絶滅の危機に
瀕している!」と主張し始めたのである。だがいくら危機感を煽ろうが、綿密な調査によって次々
明らかになるのは「クジラは絶滅の危機にはない」という冷静な事実ばかり・・・・。すると今度は
カンペキに開き直って「クジラの資源量にかかわらず、捕鯨はNO!」と主張し始めたのである。
「ダメなものはダメ」だなんて、まるでどこかの国のオバちゃん政治家のセリフと瓜二つである。

さてさてそんな折も折、IWC反捕鯨派の前に強力な助っ人がまるで彗星のように現れたのだ。
NGO(非政府機関)のGreenpeace International (GP)という国際環境保護団体である。この団体
は核問題や地球温暖化問題など様々な環境問題において活動を繰り広げているのだが、ここ
が捕鯨問題にも乗り出してきたのである。GPが商業捕鯨に反対する理由の骨子は、同団体の
日本サイトを見てみると下記の通りであった。

   1)過去に捕鯨産業は捕獲規制を無視して大量に捕獲し、しかも帳簿操作により
     捕獲数を誤魔化していた。
   2)旧ソ連は実際の捕獲数の半分程度しか国際捕鯨統計に報告していなかった
     という事実が公表されている
   3)日本でも誤魔化しが日常化していたと、日本の某沿岸捕鯨会社の元役員が
     公表している。
   4)しかも陸上の捕鯨基地でも国際監視員の目を逃れるために様々な手を打って
     いたと自著の中で明らかにされた。
   5)目の届きやすい陸上ですらこれだと、海上の現場では監視員の制度の効果を
     保証するものは何もない。
   6)商業捕鯨が再開されると、産業のならわしとして採算が最優先されるであろう。
   7)まずは過去に遡って、どれだけのクジラが捕獲されてしまったの検証しないこと
     には、今後の資源管理が安全に行われる可能性は低い

まず1)と2)だが、これは過去の捕鯨全盛期における悪しき習慣であり、現在のことではない。
次に3)と4)であるが、ほんの一握りの証言を基に、それをあかたも全体に蔓延っていた事実の
ように断言するのは如何なものであろうか。そして5)については監視員システム自体の見直し
により大幅に改善の余地があるように思われる。さらに6)は、これを言い出してしまうと、この世
にある全ての産業を、最終的に否定しなければならなくなる。最後に7)であるが、過去に捕鯨
国の大半が非捕鯨国になってしまった現在、過去の捕獲データが今後の資源管理にどれだけ
役立つのか甚だ疑問である。

さらに同団体の日本サイトでは、「日本人はどれだけ鯨肉を食べているか」「日本人は鯨肉を食
べたがっているか」というアンケート調査の結果を、解説と共にグラフで示してあるのだが、この
アンケートの意図するところが全く解からない。解説の中でGPは、日本捕鯨協会(捕鯨推進派)
が同会のHP(英語版)において、「日本人に日本の文化の一部を捨て去れと言うことは、オース
トラリア人にミートパイを食べるのをやめなさい、アメリカ人にハンバーガーを食べるのをやめな
さい、あるいはイギリス人にフィッシュ&チップスなしで暮らしなさいと言っているようなもの」と書
いてあったことに触れ、「これは、日本の実態を紹介していない」と非難すると共に、その証拠と
して農林水産省の統計から作成した「肉類の1人1日あたりの供給量」というグラフを紹介して
いる。

このグラフを見ると、確かに1962年をピークに鯨肉の消費量は年々減少し、1998年以降は
ほぼゼロに近い状態を示し、逆に牛肉や豚肉は劇的なほど急激に消費量が増加してきたこと
が解かる。要はこれによって「ほらね! 日本じゃ鯨なんてもう誰も食べてないんだから、捕鯨な
んか再開しても意味がない」ということが言いたいのだろうが、これは捕鯨が厳しく制限されてし
まった結果、市場に鯨肉が出回らなくなったためにそうなったのであり、決して日本人が自らの
意思で鯨肉を見放して言ったわけではない。それをあたかも日本人が自主的に鯨を食べなくな
ったかのように読者に対して示唆しているのである。さらに「日本人は鯨肉を食べたがっている
か」というアンケート調査においても、市場に流通していないため、食べようにも食べられないと
いう現代人の状況を指して、老若男女や住んでいる場所にかかわらず、「現在、鯨肉の消費は
きわめて稀なのである」と結論づけている。現代の日本においては、クジラはほとんど食べられ
ていないという結果のみに焦点をおくのであれば、確かにその通りである。しかし、その原因が
「We don't want to eat it.(食べたくない)」と「We are not able to eat it.(食べることができない)」
はまったく意味が異なってくる。その背景をすり替えての説明には強い疑問を感じる。

結論としてGPは、「クジラは海洋生態系の複雑な食物連鎖を象徴する野生生物、そして海洋を
広く回遊する人類の共通財産であり、生態系保護の立場から商業捕鯨、調査捕鯨、RMS(改訂
版管理体制)の完成に反対」と宣言している。調査捕鯨も「鯨肉獲得先にありきの商業捕鯨」と
断言しているのだが、それを言うなら、GPの主張とて「捕鯨反対が先にありき」の非科学的かつ
捕鯨問題の解決に向けて何の建設的アイデアもない独善的なものではないであろうか?
                                         (クジラ論・完結編につづく)



文月弐拾参日(水) 「クジラ論・完結編」
いよいよクジラ論の完結編である!!

反捕鯨派のNGO(非政府機関)は何もGPだけではない。WWF(世界自然保護基金)や IFAW
(国際動物福祉基金)など多数存在する。残念ながら、その中には表面的には「自然保護」を謳
(うた)ってはいるが、実際には極めて政治色の強いものや金儲け主義、さらには無知と偏見に
基づく差別的な考え方を持ったヒステリックな団体や「テロも辞さず」といった過激な団体も存在
する。

例えば、先にあげたWWFという団体は、エリザベス女王の夫であるエジンバラ公フィリップ殿下
が名誉総裁を務める、いわば非常に由緒正しき団体なのだが、そこで長年捕鯨問題を担当して
いるCassandra Phillips女史は、93年に京都でIWC総会が開催された際、テレビのインタビュー
番組で、「IWCが黒人やその他の有色人種に乗っ取られることが心配される。白人の優位性を
失い、道義を失うと人類は危機に陥る」などと、トンでもない勘違い発言をしている。彼女自身は
気付いていないのかもしれないが、反捕鯨を主張するに人々の中には、このように非常に差別
的な考えを持った人が実に多いのである。

さて、新潟大学・人文学部の三浦教授によると、野生動物保護論者は大きく分けて次の3つの
タイプがあるそうだ。

    1)自然環境保護のためと聞くと、内容をろくに確かめずに何でも飛びつき
      支持してしまう単純エコロジスト・タイプ

    2)外国が日本を批判すると、ただちに悪いのは日本側だと反応する
      アンチ日本症候群タイプ

    3)クジラやイルカは特殊な動物で絶対に捕獲してはいけないし、人間と
      動物の交流によって素晴らしい未来が開けると信じ込んでしまっている
      一種の新興宗教タイプ

そして三浦教授は上記3つのタイプのうち、最もタチが悪いのが3)のタイプだと分析している。
1)と2)も曲者ではあるが、少なくともデータの積み重ねによって説得することは可能ではある
のに対し、3)は宗教であるだけに、論理やデータによる説得は効を奏さない場合が多く、これは
聖書の内容の荒唐無稽さをいくらあげつらっても、キリスト教徒を改宗させられないのと同じこと
なのだそうだ。

実際、3)のタイプの人々が主張している捕鯨反対理由の1つに、「クジラは非常に賢い動物で
あり、そんな動物を殺すことなど絶対に許されない」というのがある。そして、その根拠としては
クジラの脳が非常に大きいことをあげている。恐らく、普通の思考回路を持った人々であれば、
大爆笑してしまうことであろう。確かにクジラの脳は大きい。でも体格はもっと大きい!!(爆)
脳の大きさを他の動物と比較するのであれば、当然、体重に占める脳の割合・・・即ち「体重比」
で比べなくては意味がない。参考までにクジラの脳の体重比は0.008%、牛は0.1%、犬0.4%、
1%、そして人間は2%前後であり、他の動物に比べてクジラの脳が特別大きいとはとても言
えない。さらに言うなら知能というのは決して体重比の割合で決まるわけではない。大脳新皮質
の厚さや神経細胞の密度など、様々な要素が複雑に絡み合っており、それを単純に脳の重さや
体重比だけで比べても全く意味がないのである。

しかし、盲目的な強い思い込みで、視野が狭くなってしまっている動物保護論者には、科学的な
データなど何の役にも立たない。客観性を失い、感情論だけで物事を全て判断してしまう姿勢
が、結果的には彼らを差別主義へと走らせ、動物愛護の精神はあるかもしれないが、人類愛は
欠落している悲しき人間へと導いているのかもしれない。

掲示板にも書いてあったが、「別に他にも食べる物はあるのだから、何も外国とケンカしてまで
捕鯨に固執する必要はないのでは??」という意見がある。確かに食料はクジラだけではない。
しかし、そんなことを言い出したら、インド人が「じゃあ、牛を食べるのも禁止してくれ!」、そして
アラブ人が「豚肉は全面禁止!」、さらにはベジタリアンの「動物はすべて禁止!」と主張するの
だって同等に認める必要がある。それに対して反捕鯨派はどのように回答するつもりなのであ
ろうか? いや、既に「牛や豚は知能が低いし、生産管理ができるので問題はない」と回答する
人々もいるのだ。先ほどのWWFのPhillips女史ではないが、これこそ本来の動物愛護精神とは
かけ離れた究極の差別・偏見である。

さて、最後にワタシ自身の意見を書いてみることにする。世界にはいろんな食文化が存在する。
アラブでは羊の脳を食べるし、韓国には犬料理だってある。フランス人はエスカルゴを食べて、
アフリカではイモ虫なんかは貴重なタンパク源である。オーストラリアなんかじゃ、ワニだって食
べてしまうのである。一般人であれば「オイオイ、普通はワニの方が人間を食べるモンだろ!」
というツッコミすら入れたくなるのが人情と言うモノである。だが、それぞれの国の歴史や環境、
そして文化的背景を無視し、自分の国の食文化だけを正当化して他国の食文化を頭ごなしに
否定すれば、そこにあるのは「差別」と「争い」だけである。これは歴史をふり返って考えてみれば
一目瞭然である。すべての戦争は、突き詰めれば相手の文化を否定したことが原因なのだ。

「笑食の鉄人」というコーナーがあるが、誤解のないように言っておくならば、あれは別に他国の
食文化を否定するために作ったのではない。このコーナーの前文にも書いてあるように、自分の
好みに合わない料理が出たからといって、そこで怒っても仕方がないこと。かと言って、眉間に
シワを寄せてガマンするのも不健康。だったら発想を転換して、逆に異文化として楽しんでしま
おうぜ!ってのが主旨である。

例えば、ワタシの住むニュージーランドを含め、イギリス系の国々には「ベジマイト」という食品
がある。見た目は「海苔の佃煮」みたいな感じで、味の方はチーズ系の食品なのだが、NZ人や
AU人はこれをトーストに塗って食べていて、朝の食卓には欠かせないアイテムの1つである。
ワタシにしてみれば「激マズ」としか思えないベジマイトなのだが、だからと言って否定しようと
はまったく思わない。ワタシは納豆が大好きである。それと同じように彼らもベジマイトが好き♪
ただそれだけのことである。自分に好きなものがあるように、他人にも好きなものがあり、それは
個人的な嗜好もさることながら、育ってきた環境によって大きく左右される・・・・そのことさえ理解
していれば、別に否定すべき理由など何もないのだ。

さらに生態数の問題であるが、ソ連崩壊後、闇ルートでチョウザメの乱獲が起こり、高級食材と
して有名なキャビアの生産量が激減し、さらに1997年、「絶滅の恐れがある動植物の取引を
規制するワシントン条約の指定種」となったこともあり、天然キャビアの価格は以前の4倍前後
にまで高騰している。しかし、自然保護団体から「チョウザメの捕獲反対」という声は聞こえてこ
ないのは何故だろうか? 確かにチョウザメというのは養殖ができるのだが、クジラは不可能で
ある。しかし「動物愛護」「自然保護」を主張するのであれば、養殖できるか否かは問題ではない
はずである。結局、自分たちの食文化の中に属するものは捕獲してもOKという、誠に身勝手な
論理でしかないのである。

殺生は基本的には悪である。しかし、その一方で「生命というものは他の生命を奪う事によって
成立している」という現実がある。自然保護や動物愛護を訴えている人々とて、何がしかの生命
を奪いながら自らの生命を維持している。そう言う意味では、彼らも「非常に罪深き人々」なので
ある。にもかかわらず、一方的に捕鯨反対を主張する人々に、ワタシはもう一度、故ケネディー
大統領のこの言葉を最後に捧げてクジラ論を終わりにしたい。

             So, let us not be blind to our differences
             But let us also direct attention to our common interests
             and to the means by which those differences can be resolved.
             And if we cannot end now our differences,
             At least we can help make the world safe for diversity.
             For, in the final analysis, our most basic common link is
             that we all inhabit this small planet.
             We all breathe the same air.
             We all cherish our children's future.
             And we are all mortals……

 
             互いの相違点が存在することは認めよう
             しかし同時に互いの共通の利益や
             相違点を解決する方法にも目を向けよう
             そして、もし今相違点を克服できないとしても
             少なくとも多様性を認めるような世界を造る努力は成せる
             なぜなら、最終的に我々の最も基本的な共通点は
             みんなこの小さな惑星に住み
             同じ空気を吸い
             子供達の未来を大切に思い
             そして、誰もがいずれは死んでいく身なのだから・・・

                                             クジラ論・完


追記
4日間連続で書いてきたクジラ論、如何であっただろうか?? クジラ料理には馴染みの少ない
若い世代の方々にはあまり興味のない話であったかもしれない。しかし、もしできれば皆さんの
大好きな身近な食品・・・例えばアイスクリームやケーキ、そしてチョコレートなどが、ある日突然
何の合理的な理由もなく生産禁止になってしまったことをイメージしながら読んで頂ければ幸い
である。



文月弐拾四日(木) 「ジェンダーフリー」
久しぶりにマジメな文章を4日間も連続で書いたせいか、今日はバカ話を書きたくてウズウズし
ている。(笑) 寝ボケていたのか、シャワーの後で8×4(制汗スプレー)をワキの下に吹きかけ
たつもりが、ナント整髪ムースであったために腋毛が固まってしまった話とか、他人が酔っ払って
ゲロしているのを見て、人情深いワタシも思わず「もらいゲロ」をしてしまった話とか、まぁ、その
手の話題にはワタシは事欠かない。

で、今日は何を書こうかと考えていたところに、「捕鯨問題」をリクエストしてこられた「ナイフラの
大ファン」の方からまたまたメールが届き、「今度はGender Free(男女の性別差否定の思想)に
ついて書いて下さい」というリクエストがあった。(笑) 「書け!」と言われれば、もちろん喜んで
ホイホイ書いてしまうが、周りの知人からは「オッサン、あんまり過激なことを書いてたら、しまい
にはヘンなヤツに刺されるんとちゃうかぁ?」と、マジメに心配されたりなんかもしているのだ。
確かに今回取り上げた「捕鯨問題」にしても、動物愛護団体や「自然保護団体の中には、かなり
過激な行動をやらかす人々もいるが、ま、「人並み」とは言わんが、「クジラ並」くらいにはワタシ
も賢い動物だと思うので、きっと彼らだってワタシのことも保護してくれるに違いないと、勝手に
思っている次第である。(爆)

基本的にワタシは様々な社会問題や国際問題が、盛んに議論されること自体は大賛成である。
例えば、日本の核武装問題にしろ拉致問題にしろ、最も不健全なのは議論自体がタブー視され
てしまっている状態である。議論すら封殺してしまっては、絶対に明るい未来は築けない。利害
が相反する人々が、自分の立場を主張しながら、さらに相手の立場にも理解を示し、そして議論
していくことが問題解決の第一歩である。

てなワケでジェンダーフリー・・・・即ち男女の性による区別をなくし、平等で自由な社会を築こう
って運動だが、最近いろんなところでその影響が出ているのは周知の通りである。例えば単語
1つとっても、「保母さん」は「保育士」なり、「Chair-man(議長)」は「Chair-person」へと変わって
いる。議長には男性もいれば女性だっているのだから、「man」とするのは差別であるってワケで
ある。で、ワタシの感想だが・・・・・・・

               アフォかぁ!!

                    ・・・・・って感じである。(し、しまったぁ! また爆弾発言かぁ?)

男女の性による区別や差別をなくすってのは大いに結構なことである。しかし、まるで重箱の隅
をつつくみたいに、「保母さん」は女性蔑視だの、「man」がつくのは差別だの、単語にまでケチを
つけるなんて、マジでアホじゃないかと思ってしまうのだ。そのうち「あんぱんマン」にだってケチ
をつけてきそうな雰囲気である。こうなりゃ、「肉まん」や「餡まん」も「肉パーソン・餡パーソン」に
するかぁ? ついでに1マン円札も「1パーソン円」にしてみたらどうよ?(爆)

よくタケシの番組に出演している田島陽子氏なんかが、「女性解放! 男の横暴は許さない!」
なんてコーフンしながらしゃべっているが、どう考えても田島氏が女性の意見を代表しているよう
には思えない。というか、ワタシには差別撤廃を声高々に訴えている人の方が、実はすごく差別
主義者のような気がするのだ。

例えは悪いのだが、ワタシは小さい頃、乗り物酔いがめちゃめちゃヒドかった。遠足ともなると、
前の晩から既に気持ちが悪くなり、バスに乗った途端にゲロしていたワケである。その時、両親
を含め、周囲の大人たちは「酔う酔うと思うから酔うんだよ。‘ボクは酔わない!’って思ってたら
絶対に酔わないから」とアドバイスしてくれた。で、そのアドバイスに従って、バスの中で呪文の
ように「ボクは絶対に酔わない!」と唱えるのだが、何の効果もないまま、速攻でゲロってしまっ
ていた。一方、酔わない人がバスの中で「ボクは酔わない!」なんて必死で唱えているかと言う
と、当たり前の話だが全然そんなことはない。つーか、そもそも彼らの頭の中には「酔う」なんて
概念自体が存在しないのである。つまり、「酔わないぞ!」なんて思っている時点で、思いっきり
乗り物酔いのことをを意識してしまっているワケある。ちなみに、小学生の時、ワタシが真っ青な
顔をしてバスの中で苦しんでいたら、隣りに座っていた友人が、マジメな顔で「ねぇ、‘酔う’って
どんな感じなの?」と質問してきたことがあった。ワタシのことに気遣いながらも、揺れる車内で
後を向いて他のヤツとトランプに興じている彼をみて、ワタシは心底羨ましいと思ったものだ。

まぁ、これと同じように、差別とか偏見の気持ちのない人ってのは、「保母さん」だの「Chair-man
だの聞いても、最初から女性を蔑視するなんて発想が頭の中にないワケだから、なんとも思わ
ないワケである。それを無理な屁理屈をこねて、「あれは女性蔑視の象徴的単語なんですよ!」
なんてヒステリックに主張するのは、逆に彼らに差別意識を植え付けているだけだと思う。

過去にもう1つだけ非常に印象的で勉強になった体験がある。ある日のこと、ワタシは電車に乗
るために駅ホームの階段を降りていた。ふと気がつくと、ワタシの前に白い杖をついた中年男性
がいて、その人もまた電車に乗るために階段を降りていた。ワタシは早速その人に「ホームまで
ご案内しますので、どうぞワタシの腕をつかんで下さい」と声をかけた。そしてその男性を車内
の空いている席まで案内したところ、男性は非常に喜び、何度も繰り返しお礼を言ってくれた。

それから数日後、ワタシはまたまた同じ駅でその男性を見かけた。今度は以前と異なり、ワタシ
は男性とは線路を挟んで反対側のホームにいた。で、「大丈夫かな・・・・」と心配そうに見ていた
ら、その男性は白い杖を駆使し、非常に慣れた動作で階段を降りて、電車にさっさと乗り込んで
行ったのである。前回、男性をエスコートした後で、ワタシは「今日はエエことをしたなぁ・・・・」と
自己満足していた。しかし、本当は慣れているので自分1人で電車に乗り降りできるにもかかわ
らず、自分に親切にしてくれたことへの感謝の気持ちを込めて、その男性はワタシのエスコート
を喜んで受け入れてくれていたのである。

つまり、その時に本当の意味で気を遣っていたのは、ワタシではなく男性の方だったのである。
後でふり返ってみて、ワタシの行為は「目の不自由な方への親切心」というよりも、自己満足で
あり、心の奥底では親切心に名を借りた差別・偏見・・・・・・・つまり「この人は気の毒な人」という
非常に不遜な気持ちがあったのではないかと、深く反省したものである。

以来、ワタシは体の不自由な方々を見かけても、押し付けがましい親切ってのはしなくなった。
もちろん困っている人を見かければ喜んで手を貸すが、これは別に「不自由だから・・・・」という
気持ちからではなく、あくまでも「困っているから」であり、それは別に前を歩いている人が何か
を落とした時に、「ハイ、どうぞ♪」と拾ってあげるのと全く同じことである。「差別」とか「蔑視」と
いうのは、意外にも自分自身では「親切」だとか「善行」だと思っているところに潜んでいることも
あるんだと言うことを、この時ワタシは初めて学んだような気がする。

ジェンダーフリーを訴える人々に限らず、世の中には「平等」や「公平」というのを訴える人々が
数多くいる。例えば、昨今の小学校の運動会では、徒競走の際にゴールの手前で先頭の児童
に足踏みをさせ、最後はみんなでゴールさせる学校があると言う。これをもって「平等」だなんて
勘違いもいいところである。間違えてはいけない。必要なのは「チャンスの平等」であり、決して
「結果の平等」ではない。彼らはそれを理解しているのであろうか??

ガラス瓶のフタが固くて開かない時に、力の強い人に開けてもらったり、高い棚にある物を背の
高い人にとってもらうことには何の疑問もないはずである。たまたま女性よりも男性の方が力が
強かったり、たまたま背が高かっただけのことである。もちろん、逆の場合だってある多々ある。
実はワタシは以前、飲み屋である女性(以前、徒然で書いたことが合ったと思うが、ビール瓶の
ケースを2ケース一気に持ち上げあれるという特技のある方)とデートしていて、トイレに行こうと
席を立った瞬間に、突然ギックリ腰になったことがある。周りには男友達もいたのだが、体格は
非常に小柄で、必死でワタシを抱きかかえようとするのだが、まったく歯が立たなかった。その
時、「私、力には自信があります!」と言いながら、ナントその女性が飲み屋から徒歩7分くらい
のところにあるワタシのマンションまで、おんぶして帰ってくれたのだ。ワタシは彼女の優しさに
心底惚れ込んでしまったし、下衆な言葉で恐縮だが、すごく「色っぽい」とも思った。いや、それ
以前に人間としての大きさを感じたものだ。

「男らしい」とか「女らしい」ってのも別に構わないではないか。また「男らしい女」や「女らしい男」
がいても楽しいではないか。「保育士」よりも「保母さん」の方が温かみがあるではないか!!!
そんな枝葉の部分にケチをつけている人々に、本当の意味での「平等」が築けるとは、ワタシに
は到底思えない。んなことよりも、「人の道」ってのをもっとシッカリと学ぶべきだとワタシは思う
ワケである・・・・・。

・・・・・・・・・と、気がつけば、バカ話をするつもりがまたまた熱く語ってしまった。(笑) 明日こそは
絶対にバカ話のオンパレードでいこうと思う。



文月弐拾伍日(金) 「徒然なるままに・・・・」
さて今日は公約どおり、肩の凝らない話をしようと思う・・・とは言うものの、いきなりおちゃらけた
話題になってしまうと、それはそれで5日間に渡るアカデミックな余韻をブチ壊してしまうので、
今日は軽くウンコの話から始めることにしよう。(爆)

既に皆さんご存知の通り、ワタシは筋金入りの便秘症である。毎日毎日ウンコに逢いたくて逢い
たくて仕方がないのに、3日に一度くらいしか出逢うチャンスがない。実に悲しいことである・・・。
ところで、いつも思うのだが、ウンコってヤツはホントに気の毒な存在である。何の罪もないのに
世間の人々からは「汚い!」「臭い!」と罵られてばかりいる。ほんの数分前まではご主人様の
体内で優雅な生活を送っていたのに、陽の目を見た途端に忌み嫌われてしまうワケである。

イヤ、それ以上に気の毒なのは「ゲロ」である。ゲロに至っては、食べられる前までは「うわぁ〜
美味しそう♪」とか「究極のグルメだよネ」と、最大級の賞賛を浴びていたにも関わらず、口から
出た途端に、周囲の人々は「ギャ〜〜ッ!」と悲鳴をあげて逃げ回るのである。これを理不尽と
言わずして何と言うのであろうか?

「純真無垢」って言葉があるが、幼稚園児くらいの子供ってのはホントに純真である。大人のよう
に目先の先入観だけで物事を判断するようなことは絶対にしない。そのせいかウンコに対しても
非常にフレンドリーである。試しに子供の前で「ウンコ♪」と言ってみてほしい。きっとキャッキャ
言って喜ぶと思う。決して大人のように眉をしかめたりはしないはずである。洋の東西や時代
にかかわらず、人間が生まれて初めてハマるギャグが、この「ウンコ」という単語なのである。

                      ★      ★      ★

「屁理屈」という言葉があるが、その語源をご存知であろうか? その昔、軍隊では上官による
命令は絶対的であり、決して下の者が逆らったりすることはできなかった。そんな状況において
必ずあるのが上官による「イジメ」である。ある上官が自分の部下を呼び止めて、「貴様は俺の
ことを‘屁’だと思ってるだろ!」と因縁をつけてきた。もちろん部下は「そんなことはありません」
と否定した。それを聞いた上官はニヤリと冷酷な笑いを浮かべながら、「ナニぃ! そんなことは
ありませんだと? じゃ、貴様は俺のことを‘屁だとも思っていない’と言うのか!」と言って、更に
絡むワケである。つまり「Yes」と答えようが「No」と答えようが、因縁をつけられてしまうことから、
「屁理屈」という言葉が生まれたワケである。

俗に「芋プー、豆ピー、玉葱スー」と言われているように(言われてないって!)、オナラの音って
のは非常にバリエーション豊かである。聞いているだけでも、心が和む(和まないって!!)。
ウンコ同様、オナラもまた幼稚園児には大人気である。これまた試しに子供達の前で一発オナラ
をブチかましてみて戴きたい。めちゃめちゃウケまくるはずである。

このように非常にアカデミックなエピソードを持っているオナラも、また人々からは忌み嫌われて
いる。オナラをすることは非常に恥ずかしいことであり、最悪のマナーだと思われているフシすら
あるのだ。ワタシも小学生の頃くらいからオナラをすることは恥ずかしいことだとの認識をもって
いた。ところが中2の時に盲腸の手術をした時から、ワタシはの屁に対する認識がコロッと変わ
ってしまった。手術が終わった翌日から、回診の度にカワイイ顔をした看護婦さんが、「今日は
何回オナラが出ましたか?」と爽やかな笑顔で聞いてくるのである。最初の2〜3日は、とても
じゃないが恥ずかしくてその質問には答えられなかった。が、あんまりシツコク尋ねてくるので、
4日目くらいに仕方なく「スミマセン・・・・・1回だけ・・・・・してしまいました・・・・・・」と、小声で告白
すると、この看護婦さんは「よかったねぇ♪」と、喜んでくれたのだ。後にも先にも、オナラをして
喜ばれたのはこの時だけである。以来、ワタシは人のオナラに対しても、非常に寛大な気持ちを
持っている。

ところで、これはワタシだけの性癖かもしれないが、オナラをする時に何故かお尻の片方を軽く
上に浮かしてしまう。別に「排気を良くしよう」とか「この方がサウンドが良いから」などという高尚
な理由があるワケではない。犬が電信柱でオシッコをする時に片足を上げるのと同じである。
チョコリスト女史に「オナラする時ってお尻の片方を浮かさない?」と尋ねてみたのだが、ワタシ
の質問には答えず、沈黙のまま「軽蔑光線」を浴びせかけられた。昨日の徒然で「議論すら封殺
してしまっては、絶対に明るい未来は築けない」と書いたばかりのに!(笑)

・・・・・・と、ここまで書いてふと思ったのだが、今日の話にはまったくオチがない。「だから何?」
と言われたら返す言葉がない。でも、まぁ、「徒然草」ってのは日々感じたことを、心の赴くままに
書くってのが本道であるからして、たまにはこんな日があってもイイんじゃないかと、ワタシは思
うワケである。



文月弐拾六日(土) 「チャレンジ精神」
先日、ちょいとしたお付き合いで、クライストチャーチ郊外にある某私立高校の日本語の授業を
参観するチャンスがあった。NZの高校では第2外国語として、日本語、中国(北京)語、韓国語
フランス語、ドイツ語などが選択できるのだが、その中でも日本語はポケモンやドラゴンボールZ
の影響があるのか結構人気があるという。

で、授業の方なのだが、これがかなり面白いのだ! さんまちゃんの「カラクリTV」という番組の
中に「The Funniest Japanese」というコーナーがあるが、まさにあれをライブで見ているといった
感じなのである。日本人のワタシが参観に来ているということで、自己紹介と共にNZの紹介を
日本語でやるという授業内容だったのだが、もう珍回答・迷回答のオンパレードである。例えば
ある生徒は自己紹介の際、唐突に「アメリカには鬼がいます」と云うので、「?」と思っていたら、
彼が「アメリカには兄がいます」と云いたかったらしいのである。また他の生徒はNZを紹介する
際に「ニュージーランドではお肉が野菜です」と云うので、ワタシは「NZ人は野菜代わりに肉類
を食べている」という意味に解釈していたのだが、一応、念のために英語で聞いてみると、彼は
「ニュージーランドではお肉が安いです」と云ったつもりだったのだ。(笑) ワタシが発音のミスを
教えてあげると、本人を含めてクラスの中は爆笑の渦であった。

NZ人というのは決してミスを恐れない。これは学校教育の中でも徹底していて、授業中に間違
えた解答をしたとしても、「恥ずかしいこと」という感覚がまったくないのである。むしろ間違いを
恐れてチャレンジしないことの方が恥ずかしいことだと思われている。だからこそ、ワタシが発音
のミスを正した時も、本人さえも決して恥ずることなく、素直に笑えるのである。

さて、ところ変わって日本でのお話。京都に住んでいたこともあり、会議や講演会が終わった後
で、海外からのゲストを京都の名所に案内することがよくあった。ある日のこと、講演の主催者
である日本企業の役員とその部下数名、そしてイギリスからのゲスト講演者と共に、金閣寺に
観光に出かけたことがあった。講演会の時と異って双方共に非常にリラックスしたムードが漂っ
ている。こうなると通訳の出番ってのは極端に少なくなる。日本人の方も片言の英語を駆使して
コミュニケーションを図ろうとしているのだから、体勢に影響のない限りはワタシはでしゃばらな
いようにしていたのだ。

金閣寺の前まで来た時、ゲストが金閣寺の頂上にある「鳳凰」を指差しながら、「What' that?」と
尋ねてきた。鳳凰は英語では「チャイニーズ・フェニックス(a Chinese phoenix)」というのだが、
ワタシがそう答えようとする直前に、日本企業の某役員氏がマジメな顔で「That is a chicken」
答えたのだ。苦笑するゲスト、そして大笑いしている同行の部下達。役員氏の顔はみるみる内
に引きつってきた。恐らく「恥をかいてしまった・・・・」という思いで一杯だったのだろう。

気まずい雰囲気になりそうだったので、ワタシはゲストを促し、さっさと次に進んんだ。金閣寺を
越えてしばらく歩くと、ちょいとした丘の上に茶室がある。そこも古い建物なのだが、これを見て
またゲストが質問してきた。「How long does it take to have a tea ceremony for ? (お茶会という
のはどのくらい時間がかかるものなのですか?)
」 ワタシは茶道の心得はなったくないのだが、
まぁ、だいたい1時間位のものだろうと思い、そう答えようとしたその時、汚名返上に闘志を燃や
したのか、先ほどの役員氏がまたまた英語で答えた。「About 600 years!」・・・・・そう、役員氏は
最初の「How long 」を聞いた瞬間に、「お茶の歴史はどのくらいあるのか?っていう質問内容に
違いない!」と早とちりしてしまったのである。これを聞いた役員氏の部下たちは、またまた大声
で笑い始めた。もちろんこれは「冷笑」「嘲笑」の類の笑いであった。こうなると役員氏のプライド
はズタズタである。

ワタシからすれば、役員氏の方が単に笑っている部下たちよりも遥かに国際的だと思った。結果
としては「ミス」かもしれないが、別に商談の席でもあるまいし、ミスしても何ら体勢に影響はない
はずである。実際、先ほどの「チキン」という回答は、「鳳凰」という単語を知らないという状況下
では、なかなかの名回答だと思うし、600年の方は単なる早とちりである。こんなこと日常生活
の中ではいくらでもあることだ。もちろんワタシは役員氏が「約600年」と答えた直後に、慌てて
「この600年の歴史をわずか1時間のお茶会の中で再現しているのです」と、何だか解かった
ような解からないようなフォローをしたのだが、彼の部下たち対してはかなり不快感を覚えた。

チャレンジをし続ける限り、ミスはどんなに注意していても起こるものである。しかし、それはある
意味でチャレンジ精神の象徴であり、勲章みたいなものである。少なくとも「恥」ではない。恥ず
かしいのは、チャレンジを拒むこと、そして同じミスを繰り返すことである。



文月弐拾七日(日) 「気になる3つの謎」
ワタシの場合、日常生活の中で解からないことがあると、気になって眠れなくなってしまうことが
多々ある。そして、たいていの場合にはネットや図書館で調べたりして、自分で解答を見つける
努力をするのだが、それでも解からないことってのは当然でてくる。そうなってから初めて人に
聞いてみたりもする。実は最近ワタシには気になる謎が3つある。いろいろ調べてみたのだが、
どうしても答えが解からないのである。

●謎その1
ブルゾンってのには、たいていファスナーがついている。(←ちょっとミエをはってこう書いてしま
ったが、いつもは「ジャンパーには、たいていチャックがついている」と言ってる) 昔、ブルゾンが
まだジャンパーと呼ばれていた時代には、確かファスナーの取っ手?のついた部分(ジッパー)
は1つしかついていなかったと思う。そしてその取っ手を右手の人差し指と親指で挟んで、首下
の方に上げていたわけである。ところが、最近のブルゾンの中には、このジッパーが2つ付いた
ヤツがある。1つは上にあげ、1つは根元に残ったままなのだが、あれは何の意味があるのだろ
うか? 一応、予想としては、ジッパーを上にあげていた時に、万が一ファスナーが外れてしまう
と、1つ式だと直すのに結構時間がかかるが、2つ式なら簡単に直せるからではないかと思って
はいるのだが、最近のファスナーは優秀だし、そう簡単にファスナーが途中で開いてしまうこと
などないと思うのだが・・・・。

●謎その2
以前、この徒然でも書いたのだが、ワタシは趣味でマイクロソフト社の「フライト・シミュレーター」
ってのを時々やっている。確かに最近のシミュレーターはかなりリアルなのが多いのだが、それ
でも都市の景色ってのはスゴクに簡略的というか、東京で言うならば、東京タワーや東京ドーム
などのような目立つ建物以外は、すべて同じような立方体の画像でゴマかしてある。まぁ、高度
が高ければ別に気にするほどのことではないのだが、低空だと「ちょっとチンケだな・・・・」と感じ
ないでもない。でも、まぁ所詮はオモチャの延長なんだからと自分なりに割り切っていた。

ところがこの前、子供が使っている「プレステ2」のレーシング・ゲームを見て、ワタシは愕然とし
てしまった! すごく画面が緻密でキレイなのである。車からスタジアムまで、細かいところまで
再現されていて、しかも動作がスムーズなのである! フライトシムの場合、パソコンの性能に
もよるが、あまりに緻密な風景だと、画面がカクカクと、まるでコマ送りのように流れてしまうので
ある。ところがプレステ2の画面は、まるでビデオを観ているようにスムーズな流れであった。
ちなみにワタシのPCCPUが1.3G,メモリーは512である。この程度のスペックではプレステ2
に負けてしまうものなのだろうか? プレステ2って一体何物???

●謎その3
最近の飛行機には、自分達が今どのあたりを飛んでいるのかが分かるように、個人TVの番組
の中に下記の写真のようなナビゲーション・マップみたいなのがある。

      

洋画が苦手なこともあり、ワタシはこのナビゲーションマップを案外よく観ている。ところが、最近
この表示されている地図に異変が起こっているのである。以前であれば、中学校の時に使って
いた地図帳と同じように、海の深いところとか山の高いところなどは、色の濃淡を使って表して
いたのだが、それに加えて、最近の地図上には3次関数のグラフみないな妙な「影」が地図上に
出現してきたのである。

一体、この影はナンなのだろうか?と思いながら、眠れぬ日々を送っていたのだが、先日、街中
にある地図専門店に置いてあるPC画面を見た途端、ワタシは驚愕してしまった! 機内で見た
謎の3次関数グラフ形の影が、その画面に映し出されていた地図にもあったのである!!!!
マジでこれってナンなの??? 昼と夜の部分かぁ???

          
                       こんな感じ

以上、3つの謎について、正解をご存知の方がいらっしゃったら、ぜひぜひご教授願いたい。



文月弐拾八日(月) 「徹底検証・モテない君 (前編)」
この前、知人のK女史と話していて、何故か「モテない君」のことが話題にのぼった。当たり前の
話ではあるが、男に生まれたからには、モテないよりもモテたほうが幸せである。これは万人が
認めるところであろう。しかーし! 必死の努力にもかかわらず、世の中にはやっぱりモテる男と
モテない男がいる。一体それは何故なのか?ってことで、モテない君を代表し、不肖このワタシ
がK女史と激しい議論を戦わしたワケである。

まず議論の初期の段階で判明したのは、「100人が100人とも認めるカッコイイ男性ってのは
この世に存在しなが、100人が100人とも認めてしまう嫌な男は存在する」ということである。
で、それはどんなタイプの男かと言うと、K女史曰く、「間違いなく不潔な人」ということであった。
言われてみれば、確かに「不潔な人が大好き♪」って女性はまずいない。飛行機とか電車に乗
っている時に、この手の人が隣りに座ると、殺意すら沸いてくるそうである。しかし、掲示板にも
誰かが書いていたと思うが、中には汗をかきやすい体質の人とか、外国人には人種的に体臭
のキツイ人たちもいるし、内蔵の疾患で口臭が強い人だっているはずである。そのような場合は
どうしようもないのではないかとツッコンでみたところ、「基本的に体臭というのは他人には不快
なものであるという認識を持っている人であれば、最低限の予防策をとっているはずであるし、
そうするべきである」とのことであった。

なるほど確かにワタシもそれは思い当たるフシがある。以前、飛行機で東京から福岡に移動し
ていた時、隣りに座ったいかにも「オタク風」の男性の体臭っての異様にヒドくて、マジで頭痛が
してきたことがあったのだ。あれは単に汗をかいたからというのではなく、妙に油ぎった髪の毛
と大量に発生していたフケから判断して、少なくとも2〜3日は風呂に入っていないことが原因
による異臭だと思う。

超出不精のワタシは滅多に汗をかかないのだが、ホテルから空港に行くまでの間に汗をかいて
しまった場合には、空港に着いてから必ずシャワーを浴びている。これは自分自身が根本的に
神経質ってこともあるが、やはり隣りに座るかもしれない人への最低限の礼儀だと思っている。
その甲斐あってか、隣りに座った人からイヤな顔をされたことは一度もないし、逆に見ず知らず
の女性から「赤ちゃんみたいに石鹸の香りがしますね」と、笑われたことさえある。40を過ぎた
オッサンが「赤ちゃんみたいな香り」ってのも情けない話ではあるが、まぁ、「臭い!」と言われる
よりはマシであろう。

体臭には大きく分けて2つあり、1つはその人固有の匂いで、もう1つは発汗や風呂に入らなか
ったために、元々の体臭にプラスされる形で発生した二次的な体臭である。前者の方は個人で
はどうしようもないし、そもそも普通に生活していれば表面まで現れることはない。問題なのは
後者の方である。これはハッキリ言って腐敗臭そのものである。例えば、フルーツは非常に甘い
香りがするが、腐ってしまうと悪臭を放つ。要はこれとまったく同じ原理であり、腐る前に食べて
しまうのと同様に、臭くなる前に風呂に入れば決して他人に不快感を与えることはない。つまり
自助努力で何とでもなるのだ。女性が忌み嫌っているのは元々の体臭ではなく、二次的に発生
した体臭の方であり、またそれに気付かない悪臭・張本人の無神経さなのである。   つづく



文月弐拾九日(火) 「徹底検証・モテない君 (後編)」
昨日に続いてモテない君の徹底検証を始めよう。

昨日は「不潔」ってのがキーワードであったが、その後、他の女性に尋ねてみたところ、全員が
声を揃えて「不潔な人ってのはモテるとかモテない以前の問題である」と明言していた!!(笑)
ほとんど人間扱いしていないと言っても過言ではない。夏場でも2〜3日くらいなら風呂に入らな
くても平気だと言う方は、この時点で「モテたい」という願望はキレイさっぱり諦めた方がイイかも
しれない。それは願望というよりは、むしろ野望・・・いや、無謀・・・・ハッキリ言って絶望である。

さてさて、次に彼女たちがモテない君の特徴として挙げたのが、「頭の悪い人が多い」ということ
である。誤解を恐れずに言うならば、女性は「バカな男」が大嫌いなのだそうだ。(爆) で、ここで
「ま、オレは有名大学卒だから楽勝だな」と思われた方は手を挙げて! ハイ、いま手を挙げた
方々はみんなアウトである。彼女たちに言わせれば、「学歴自慢」をしているヤツが一番バカに
見えるそうである。(笑)  K女史曰く、「頭の悪い人がダメというのは、決して学歴がどうだとか、
成績がどうとかではなくて、状況判断のできない人はダメ」ってことだそうだ。

ここでちょっとワタシの意見を述べさせて頂くと、日本はよく「学歴社会」と言われているけれど、
正確に言うならば「学校歴社会」である。つまり、重視されているのは「どこで学んだか」だけであ
り、これでは本当の意味の「キャリア(経歴)」とは言えない。大切なのは「どこで」ではなく、「何を
学んできたか」であり、「知識」ではなく「知恵」、「学力」ではなく「知力」なのである。そう考えて
みると、「学歴自慢をしているヤツが一番バカ」というのも、あながち間違えとは言えない。

てなことで、彼女たちの言う「バカ(=状況判断のできない人)」だが、この解釈ってのが意外と
幅が広いのである。人によって具体像がバラバラで、ある人は「面白くもない話を延々と続ける
男」という女性もいれば、「人の話を聞かない男」と表現する女性もいる。また「雰囲気の読めな
い男」と言う女性もいた。で、これらを一言で表すと「バカ」ってことになるらしいのだが、特徴的
なのは、すべて「会話」に関係のあるものばかりである点だ。会話というのは、かなりウエイトが
高いらしい。つまり「会話を制する者は女性も制する」ってワケである。

ここでまた、「おっしゃ! オレはしゃべりには自信がある。絶対に笑わせてみせる!」と思った
方は手を挙げて! ハイ、その方々もアウトである。(笑) ただ笑わせりゃイイというものでもな
いらしいのだ。例えば声。ボソボソと自信なさそうに話す男も嫌われるが、それ以上に嫌われる
のが、無意味にデカイ声でしゃべる男だそうだ。特にこの傾向は関東系の女性に多い。(関西人
ピーンチ!) さらに呼吸の荒い人もダメだそうで、これらをマトメると、モテるためにはNHKの
アナウンサーのような声でギャグを飛ばしながら、しかも相手の話にも耳を傾けなければならな
いことになる。この時点で、恐らく世の8割の男性は「モテない君」に属することになるであろう。
・・・・・・と、K女史を始めとする女性陣と「モテない君談義」をしていて、ワタシはいくつかの発見
をした。

●発見1 「逆も真なり・・・ではない」
「モテる」の反意語は当然ながら「モテない」である。ところが「モテない君」の反意語は必ずしも
「モテる」とは限らない。例えば、もしあたながこれまで書いてきたモテない君の条件からハズレ
ていたとしても、それが「モテる」を意味するワケでは全くない。

●発見2 「モテない君=オタッキー君?」
以前、この徒然で「オタク論」ってのを書いたことがあるが、オタクの特徴とモテない君の特徴っ
てのは、かなり重なるところがある。イメージとしてはモテない君のパワーUP版がオタッキー君
のような気がしないでもない。

●発見3 「女性は会話を大切にしている」
女性というのは、想像以上に会話というものを重視していた。さらに、自分の話を聞いてくれる人
に対して、かなり好印象を抱くようである。よく勘違いしているケースとして、女性から何か悩み
の相談を受けた時に、ズバリと解決方法をアドバイスし、男は勝手に自己満足しているが、実は
多くの場合、女性は別にアドバイスが欲しいわけではない。ただホンのちょっとだけ愚痴を聞い
て欲しいだけでなのである。ところが、男はアドバイスすることが親切だと思って、解かりきった
ことを口にしてしまう。特に自分のことを「賢い」と勘違いしている男に多いようである。会話とは
キャッチボールのようなものであり、良きピッチャーになるよりも、良きキャッチャーになった方が
良い場合もある。

●発見4 「外見よりも中身」
最も意外であったのは、清潔さは気にするものの、それ以外の容姿については、特に条件を出
す女性は誰一人いなかった。まぁ、議論したのが30前後の女性ってこともあるが、男性としては
気になるハゲだのデブだのチビだのは、女性からすれば決して「モテない君」の必須条件には
入らないらしい。

てなことで、いろんな話を聞くことができて、大いに勉強になったのだが、最後にワタシが「好き
になってしまえば、すべて関係ないのでは?」と尋ねた時に、K女史が呟いた一言でけは忘れら
れない。

      でも、バカは始めから好きにならないもん♪

やっぱり女性ってのは厳しい目をもっていらっしゃる・・・・・・・・。



文月参拾日(水) 「人間って案外・・・・・」
いつも日本時間の午前9時(NZ時間の正午)に、アクセス・カウンターの集計をしている。(正確
にはワタシがやっているのではなく、チョコリスト女史がやってくれている。)  PC全盛期の現代
にあって、超古典的というか原始的というか、集計はカウンターの数字を見てそれをメモに書き
写すという方法をとっている。アクセス解析などという難しいことは、「ナイフラのCPU」と呼ばれ
ているダン隊長しか解からないであろうし、そもそも難しいこととか面倒臭いことってのがが苦手
なのである。

普段、集計後の午前9時から正午までの3時間で、だいたい60人前後の方々が訪問されてい
るのだが、朝っぱらから訪問して戴けることに対して、スタッフ一同いつも恐縮している。ホントに
有り難い話であり、思わず訪問者の数だけ「おはよーございます!!」と叫びたくなってしまう。
ところが、昨日はちと異常事態というか何と言うか、朝の3時間でイキナリ250人もの方が訪問
されたのである。さらに、昨日の全訪問者数も普段よりもで200人以上多い。一体何が起こった
のであろうか? どこかの検索サイトとかで紹介された場合には、事前にそのサイトの編集部
から連絡があるのだが、今回はそのような報告は受けていない。昨日、初めてNight Flight
ご訪問された皆様に、ぜひぜひどこからの流れなのかを教えて戴きたい。

・・・・・・・と、前フリはこのくらいにして、4日ほど前、読者の方からメールを戴き、徒然のテーマの
1つにでもなればと、下記のニュース原稿を送って戴いた。

   --------------------------------------------------------------------

         自殺者が5年連続3万人超 「生活苦」最多の8千人

    昨年1年間の自殺者は前年に比べ3・5%増の3万2143人で、5年連続して
    3万人を超えたことが24日、警察庁のまとめで分かった。全体の約60%が
    50代以上の中高年。「経済・生活問題」による自殺は7940人人と1978年に
    統計をとり始めて以降最多で、リストラや借金など景気低迷による影響を浮き
    彫りにした。                                 (共同通信)

   --------------------------------------------------------------------

何ともやるせないニュースである。以前に徒然で書いたことがあると思うのだが、誤解を恐れず
に言うならば、ワタシはわりと自殺に関して肯定的である。「肯定的」と言っても、決して「賛成」と
意味ではない。もちろん目の前で自殺しようとしている人がいたら、絶対に止めるだろうし、また
相談にも乗るであろう。ただ、自殺してしまった後まで、その人の人生や考え方を否定したくない
ワケである。

さて自殺の理由だが、警察庁の発表によると「健康問題」ってのがトップで、全体の46%を占め
ている。さらに「経済・生活問題」が理由だった人は、前年よりも16%多い7,940人と、過去最多
を記録している。恐らく健康問題が理由で自殺した人からすれば、「経済・生活問題」なんての
は死ぬ理由にもならないであろうし、逆に経済的な理由で死を選んだ人からすれば、金の苦労
に比べれば、病気の苦しみなんて何でもないと思うであろう。結局のところ、苦痛ってのは本人
しか解からないことであり、最終的には価値観の問題になってくると思う。それを外野が「そんな
ことくらいで・・・・・・・」などと批判するってのも、何だかヘンだとワタシは思うワケである。

ところでニュース本文の中に「リストラや借金など景気低迷による影響」という一文があったが、
この「リストラの苦痛」ってのがイマイチよく解からない。やっぱり死に直結するくらい深刻な問題
なのだろうか? イヤ、別に批判的に言っているのではなく、素朴な疑問としてふとそう思ったの
である。よく大手企業をリストラされてしまった人が、「もうこの年齢で職なんかみつからない」と
嘆いているのを見かけるが、思わず「ウソつけ!」と言いたくなってしまう。どんなに不景気でも、
少しでも経済が動いていれば、絶対に働き口ってのはある。厳しい言い方をすれば、「これでも
私は大手企業に勤めていたんだぞ!」と云うプライド(実は見栄だと思うが)が邪魔をして、中々
踏ん切りがつかないだけではないだろうか? 早い話が選り好みをしているだけであり、思いっ
きり職業に貴賎をつけているってことである。まぁ、そのプライドを胸に死を選ぶってのも1つの
価値観だし、否定はしないが、残された家族とか友人たちに対して、いささか無責任のような気
もする。

これはあくまでもワタシの価値観ではあるが、ワタシならそんなチンケなプライドなんか、とっとと
「ゴミの日」にでも出して、とりあえずどんなにキツイ仕事であろうが、喜んでやると思う。そして
不満があればジックリと体勢を立て直してから再チャレンジするであろう。と云うか、実はワタシ
は根本的に企業ってのを全く信じていないのである。欧米企業と違って、日本の企業というのは
株主よりも社長を筆頭する経営陣の方が幅を利かしている。社会問題(事件)とか内部紛争でも
起こらない限り、例えどんなに不況でも経営陣がクビになることはない。それどころか、不景気の
際に最初にやるのが経費削減であり、その代表が人件費削減(リストラ)ってワケである。

儲からないから社員のクビを切って人件費を浮かす・・・・・・これって経営と呼べるのだろうか?
こんなものは小学生でも思いつくことである。そんなマヌケな経営陣のいた企業で働いていたこ
とにプライドを持ち、さらにそれで死んでどうする!と思ってしまうのだ。それじゃ相手の思う壺で
はないかと。

何度も云うようだが、人の価値観ってのはそれぞれ違うので、押し付けがましいことは云えない
けれど、しょーもない見栄やプライドさえ捨て去れば、人間って案外と強くて逞しいものではない
かと思う。家族から既に「戦力外通告」を受けているワタシが云うんだから間違いない。(爆)



文月参拾壱日(木) 「少年犯罪」
少年犯罪・・・・・こんなもんは別に昨日今日に始まったことではなく、昔からずっとあったものだ。
しかし警察白書や犯罪白書など、各種統計調査の結果を見てみると、平成になってから刑法犯
の中の未成年者の割合が、確かに急激に増加しているのが分かる。特に少年による凶悪犯罪
の増加は、現代の日本にあって最も深刻な問題の1つである。

TVなんかを見ていると、著名な心理学者や大学教授などが、「社会環境が悪いのでは?」とか
「日本の教育制度に問題がある」など、ゴチャゴチャと好き勝手なことを云っているみたいだが、
ワタシからすれば、「んなもん、本人が一番悪いに決まってるやんけ!」と言いたくなる。確かに
社会環境や教育制度にも問題はあるかもしれないが、これはあくまでも遠因であって主因では
ない。一番悪いのは本人、2番目は両親、あとは直接的には関係ない思うワケである。

少年法というのは、基本的に「少年は守るべき存在」というのがその根底にある。何の罪もない
人々を集団でリンチして殺した挙句、コンクリート詰にして海に投げ込んだりするようなヤツらが
「守るべき存在」とは大笑いである。以前も徒然で書いたことがあるが、通り魔殺人や猟奇事件
を犯すようなするようなヤツに、改悛などはありえない。なぜなら、それらは一種の「性癖」だから
である。リンチ殺人をする人間も同様である。「憎しみからの殺人」とかであれば、心から反省し
てマトモな人間に戻ることも可能であるが、「性癖」だけは絶対に治らない。

現在の法律では、基本的に未成年者は死刑にはできない。14歳未満ともなれば刑事責任すら
問えないのである。先日、某政治家が「加害者の親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」
と発言して大問題になったことがあった。確かに「立法に携わる人間」の発言としては問題なの
かもしれないが、内容としてはワタシは非常に共鳴するものがある。「未成年者は守らなければ
ならない存在である」という発想は、「未成年者はまだ未成熟である」という認識に立っての考え
である。ならば、その未成熟なる人間が何かの罪を犯した際、そいつを保護監督する義務を持
った者が何らかの罪に問われるのは当然であろう。言ってみりゃ、社員が何か社会的な事件を
起こした時、そこの社長が引責辞任をするのと同じである。

ところで、「俺たちは少年法で守られているから罪は問われない」などと、まったく寝ぼけたことを
言ってるアホなガキどもがいる。彼らは刑事責任のことは計算に入れているのかもしれないが、
民事責任(早い話が賠償金)のことはスッポリ頭から抜けている。さらに一般人の中にも被害者
の両親が加害者の両親を相手取り民事裁判を起こすと、「金目当てだ!」と、筋違いの非難を
する人々がいる。人を殺しておいて、刑事責任も民事責任も問われない社会が、幸せな社会で
あろうはずがない。

先ほども述べたように、少年法により未成年者ってのは、原則的にどんな凶悪事件を起こしても
死刑にはならない。ぜんぜん反省なんかしなくても2〜3年もすれば少年院から出れるのである。
このような理不尽なことが許されるはずがない。ならばせめて民事責任については、厳しく本人
に科すのが当然である。そこで、ワタシは下記の提案をしたい!

 1)殺人を犯した少年は、自分で賠償金を払い終わるまで基本的に少年院から出さない。
 2)賠償金を支払う方法として、少年に新しくいくつかの選択肢を与える。
 3)例えば、早く支払いを終えて退院するには、当然ながら高収入につながる仕事をしなけ
   ればならない。
 4)世間一般的には、医者、弁護士、公認会計士、同時通訳などが高収入と言われている。
 5)そこで、少年院内にそれらの資格を取得するための専門コースを用意する。
 6)見事に資格を取得したら、さっそく仕事に従事させて、その収入は賠償金に充当する。
 7)これらのコースの運営費は国庫及び人権派の弁護士、人権派団体等に負担してもらう。
 8)また資格を取得した少年の収入の中からも一定額を差し引いて、運営費にまわす。
 9)上記のコースがイヤであれば、他に肉体労働コースや軽作業コースも用意する。
10)当たり前の話だが、楽な仕事ほど収入は低くなり、退院までには時間がかかる。

                                    ・・・・・以上が新提案の骨子である。


お金で罪を償うことなど決してできない。しかし刑法で罪を問えないという現実、そして少年院と
いうのが「社会復帰のための再教育」を目的にしている以上、ワタシは上記の方法はベストとは
言わないが、検討には値するのではないかと思う。何の反省もないまま、数年して社会に復帰し
たところでロクなことはない。だが専門的な資格を携えて、安定した収入が期待できるようにな
れば、再び罪を犯す可能性はかなり低くなると思う。弁護士になった暁には、それこそ少年犯罪
専門の弁護士になれば良い。「未来ある少年の健全なる育成を・・・・・」とか何とか能書きをコク
ひまがあるんだったら、ぜひ前向きに検討してもらいたい。


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